文永2年(1265)、日蓮上人は会津に向かう途上、宇都宮侯のすすめで、
中風の療養のため那須温泉と塩原湯本で入湯されました。
那須から塩原へ、そして藤原宿に至り、村の長、星次郎助宅に逗留しました。
入湯の帰途に一大石があり、七字の題目を認(したた)めました。
それを日蓮没後、高弟日朗が刻して後世に残したのが「経題石」です。
「喰初佛(くいそめほとけ)」(由来は姫説と子ども説あり)として喰初寺の御本尊となっています。
本殿は施錠されているので、拝めません。
喰初寺には「日蓮聖人御入湯霊場」石標、「数珠割石」があります。
「数珠割石」は玄翁が数珠で割った殺生石と異体同物の話と、日蓮上人が数珠で割った話あり。
塩原本湯で入湯され、「日蓮上人腰掛石」があり、
石の形が蓮の葉に似ているので「蓮石」というと昔の温泉案内書に記載されています。
明治時代までは認識されていた腰掛石ですが、どこでしょう?
路傍に捨て置かれているのか、妙雲寺に集められているのかわかりません。
元湯から移設された新湯の温泉神社の左に地蔵祠があり、
4つの像が祀られていると昔本に記載があります。
塩原温泉郷土史研究会によると日蓮上人像が新湯地蔵堂蔵とあります。
元湯から地蔵堂と十王堂を新湯に移動、ひとつに合祀されているので、
地蔵様と閻魔王神像等、多くの像があります。
地蔵様とも、閻魔王神像とも異なる像が、日蓮上人像かと思います。
大きな石に腰を下ろし、村人を集めて説法をした時の「日蓮上人腰掛石」が
清隆寺境内にあります。
清隆寺は、星一族が開基檀方で、星のや(廃業)は筆頭総代です。
川治温泉柏屋、川治温泉ホテル、きぬ川館本館、二葉館など、温泉旅館の奉納多数です。
藤原宿の本陣・問屋であった星家は、「藤原デイサービスセンターななほし」となっています。
(星光ホテルのサイトはそのまま残っています。)