Discover 栃木 温泉文化遺産(温泉文化史)
 
 斉藤茂吉と塩原温泉

 (参考)斎藤茂吉ゆかりの地


○塩原の斎藤茂吉歌碑

 斎藤茂吉は、明治41年10月16〜18日、東京帝大医科の同級生と塩原に来て満寿家を宿とします。
 明治42年「塩原ゆき」50首として「アララギ」に発表され、
 その後、大正2年に44首に整理されたものが「塩原行」として「赤光」の中に発表されました。

 塩原には斎藤茂吉の歌碑が3カ所あります。
 関谷→門前→古町と、紅葉の変化が味わい深いですね。

 廃業したレスト日塩の庭にある歌碑は、斎藤茂吉の歌碑だとわからないほどツタに覆われ、悲惨です。
 塩原もの語り館でさえ、紹介していません。
   


 関谷いでて坂路になればちらりほらり染めたる木々が見えきたるかも

  所在地:「旭屋旅館」(那須塩原市関谷1178)前 ※旭屋旅館は閉館しました。

     


 「とうとうと喇叭を吹けば塩はらの 深染の山に馬車入りにけり

  所在地:妙雲寺境内
  塩原ものがたり館にレプリカもあります(3枚目)。

    


 「しほ原の湯の出でどころ とめ来れば もみぢの赤き処なりけり

  所在地:廃業した「レスト日塩」の庭
  このままだと、そのうち、茂吉の碑だとわからなくなるでしょう。

    
 
 レスト日塩が解体され、更地となりました。那須塩原別邸の駐車場となっています。
 斎藤茂吉の碑は、そのままに存在しています。
 以前は放置されていたのが手入れされています。

    
 
   


「赤光 自明治三十八年至明治四十二年 11鹽原行 明治四十一年作」(国立国会図書館デジタルコレクション)
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