○ 上総一宮
○ 魚料理タカラ亭
○ 上総国一之宮 玉前神社
○ 芥川荘/芥川龍之介文学碑
○ 一宮海岸
○ ホテル一宮シーサイドオーツカ
一宮の町名は上総国一之宮玉前神社の社格に由来しています。
1896(明治29)年に房総鉄道(現:外房線)が開通し、1897年には一ノ宮駅、
1899年に大原まで延伸され、一宮は別荘地として有名人の別荘が多く建ち、「東の大磯」と呼ばれました。
2020年東京オリンピックのサーフィン競技が、一宮町の釣ヶ崎海岸で行われることになっていました。
国道128号沿いのタカラ鮮魚店の駅前支店が魚料理タカラ亭です。
上総一ノ宮駅前にあります。
<店内>
<メニュー>
500円の定食が4種類(おさしみ、天ぷら、焼魚、煮魚)あります。
800円と1000円もあるので、食べたい量で注文できます。
<刺身定食>
刺身定食500円(税込)を食べました。ブリとマグロの計5切れ盛り合わせ。
ブリが脂がのっていて美味かったです。
<天ぷら定食>
再訪時(朝9時からの通し営業なので、朝食と昼食の2度利用)は、
魚屋ですが、500円でどんなものが出るのかあえて天ぷら定食を注文しました。
アジ、エビ、ナス、ニンジン、ピーマン、サツマイモ。
アジの天ぷらが小さいゆえに味が濃縮されて美味かった。
上総一ノ宮駅前の「タカラ亭」で食事後、玉前神社に芭蕉句碑を見に訪問。
<芭蕉句碑>
「叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを」
(説明板)
「一宮町指定文化財(史跡)
芭蕉の句碑 平成四年一月十四日指定
「この碑は表面中央に「たかき屋にの御製の有難を今も猶 叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを」と大書されている。「はせを」は芭蕉のことであり、元禄元年(一六八八年)秋冬の頃の作で、仁徳天皇の聖徳を称えたものである。左には「名にしおはゞ名取草より社宮哉 金波」を発句とする表十句を刻んである。
背面には、上部に「無尽言」の題字、その下に百四十九句を刻み、起名庵金波の芭蕉景仰の漢文銘があり、左端に「明治紀元戊辰晩秋 催主 千丁 河野五郎兵衛」とあり、上総千町村
(現茂原市千町)の俳人起名庵金波「河野五郎兵衛」一門によって建てらたもので、書も金波といわれている。
金波は文化元年(一八〇四)岡山の井出家に生れ、俳句を学び起名庵を創始した。嘉永五年(一八五二)千町村の河野家の養子として迎えられ明治二十年八十四歳で没した。
平成五年八月三十一日 一宮町教育委員会 」
(誤字は適宜修正しました)
<一の鳥居>
<白鳥井/ご神水>
ご神水は、金気臭に金気味です。塩味はなし。分析すれば鉄鉱泉かと思います。
<ご神砂>
<二の鳥居/蜀山人書神号銅額>
一宮町HPによると
「蜀山人の書になる神号銅額は、境内正面の石鳥居に建立以来久しく掲げられおり、
最近採った拓本に「文化十三子四月大田覃書」の刻文と「南畝」の印、当時の宮司家などの名が読まれた。」
石鳥居は文化三年と刻まれており、石鳥居が建ってから現在の神号額が掲げられたこととなります。
<狛犬>
<三峯神社/玉前稲荷神社>
内閣総理大臣橋本龍太郎氏揮毫です。
<神楽殿/玉前神社上総神楽>
<社殿>
<神木 いす>
<力石>
<護錨記念碑>
(説明板)
「明治の末、九十九里浜の海に沈んでいて度々漁網に被害をおよぼしていた錨が
漁師の網に掛かり引き揚げられた。漁師達は玉前神社のお陰と大いに喜び、
網主十一名が東郷平八郎海軍大将に篆額をいただき、その錨とともに碑を建てた。(以下略)」
<招魂殿>
「大正十二年建立。日清戦争・日露戦争以降第二次世界大戦までの一宮出身の三二五柱の戦没者を
お祀りしている。〜以下略〜」
砲弾が奉納されています。
奉納の戦利品は撤去されているところが多いので、2発も残っているのは珍しいと思います。
<はだしの道>
築山の周りをはだしで3周して祈願するはだしの道。
築山は古墳の可能性があるようです。
<西南戦争紀念碑/征清紀念碑>
はだしの道の築山に石碑が2基あります。
左に「西南戦争紀念碑」(熾仁親王筆)、右に日清戦争の「征清紀念碑」(彰仁親王筆)。
<末社 十二社>
「玉前神社末社十二神社ご由緒
一宮町内の邑々に昔から祀られ信仰を集めていた神々が明治初年政府の命により玉前神社に合祀され
十二神社として現在にいたりました〜以下省略」
<玉前神社槇の群生>
<平廣常顕彰碑>
門前に風格のある明治時代の中期に建てられた寿屋本家(すやほんけ)があります。
たまたまの休みでした。
一宮館の駐車場の奥の庭に、芥川荘があります。
(芥川荘説明)
「一宮川河口に位置する旅館・一宮館の離れで、大正3年(1914)と大正5年(1961)に芥川龍之介がこの離れに滞在したことから、この名がつけられた。芥川は滞在中にこの離れから、後に妻となる塚本文に長い求婚の手紙を送り、一宮での思い出を「微笑」「海のほとり」「玄鶴山房」「蜃気楼」などの作品に登場させている。建物は、明治30年(1897)の建築。茅葺寄棟造の木造平屋建てで、主屋と次の間2室の3方に縁側を回らし、縁側の一端には洗面所を設けており、当地方の伝統的な民家建築技法で建てられ、周囲の松林の閑静な雰囲気と相まって良好な景観となっている。」
(芥川荘の説明は、文化庁、千葉県HPなどにありますが、一宮観光協会サイトが詳しいのでそちらを引用します)
<芥川荘/芥川龍之介文学碑>
芥川龍之介の塚本文(後の芥川夫人)あての一宮からの手紙を陶板に記した
プレートを埋め込んだ御影石の碑です。
正面「芥川龍之介文学碑」、裏面に由縁が刻まれています。平成3年5月建立。
<小高倉之助歌碑>
地元の農民歌人。鍬の形をした歌碑で、碑は斜めになっています。平成3年12月建立。
○一宮館 一宮町一宮9241 0475-42-2127
HP:http://www.ichinomiyakan.com/
芥川荘のある庭側の一宮館
芥川荘のある一宮舘の裏手から、表にまわってみました。
一宮海岸広場(国民宿舎一宮荘跡地)に「芥川龍之介
愛の碑」があります。
駐車場から見たものの下調べ不十分で芥川龍之介の碑とは気づかず、写真は取り損ねました。
画像は一宮海岸です。
じゃらんの期間限定ポイントが付いたので、加水、循環ろ過、塩素を承知で行ってきました。
かなり加水しているだろうことは承知の上でしたが、さすがに4倍希釈には少々がっかりしました。
さらにローリー運搬湯だと掲示を見て少々がっかりしましたが、良い湯でした。
<大塚商会の運営宿>
大塚商会が企業支援の一環として運営しているホテルです。
<ローリー運搬湯>
駐車場にある施設が湧出地だと勘違いしました。
露天風呂の脇に貯湯タンクがありました。
<コロナ対策>
入口で自動検温後、手指障毒。フロントで受付。丁寧な対応です。
<分析書>(平成23年7月28日)
かん水を利用した温泉入浴施設です。
源泉名「一宮温泉」含よう素-ナトリウム-塩化物強塩冷鉱泉(高張性弱アルカリ性低温泉)
湧出地:一宮町一宮10226
地図を見ると、ホテルから1.8kmほど北で、伊勢化学工業ビルが建っています。
泉温:31.5℃ 成分総計:33.052g ヨウ素イオン:106.5mg 炭酸水素イオン:790.6mg
<影響を与える項目>
「温泉1に対して地下水を3の割合で希釈しています。加温、循環ろ過、塩素。」
その他として「源泉湧出地よりタンクローリーにて随時運搬して供給しています。」
<脱衣所>
広い脱衣所です。
<内湯>
内湯は、変則7角形の大浴槽が1つ。
加水、循環ろ過ですが、グリーンの温泉。
加水のためでしょう、高張泉に至っていない塩味です。
ヨード臭だか臭素臭がします。
採光がふんだんで、とても明るい浴室です。
サウナは、コロナ対策で使用中止でした。
パンフレットより抜粋
<露天風呂>
露天には、小さな十和田石のヒノキ枠の浴槽が1つあります。
庭園があり雰囲気の良い露天エリアです。
混濁気味のグリーンの湯だったので、十和田石の効果で黄色が緑色になっているのかと思い、
手桶で湯をすくってみると、黄色ではなくグリーンでした。
パンフレットより抜粋
<湯あがり処>
ウォーターサーバーがあり、煎茶・麦茶・水がサーブされています。
<展望台>
屋上に展望台があります。
<感想>
ローリー湯かつ4倍希釈ですが、かん水の良さは保たれていて、良い湯にのんびりできました。
希釈なしの源泉に触れてみたいものです。
食事は上総一ノ宮駅前の「タカラ亭」で食べたので、ここではランチは採りませんでしたが、
ランチ付入浴が人気のようです。