犬吠埼の地名の由来には諸説あります。
「源義経一行は、奥州平和泉へ逃れるため、舟に乗り奥州へ向かいました。
その際に、愛犬「若丸」が置き去りにされ、
若丸は主人を慕って7日7晩鳴き続けて岩になります(犬岩)。」
「一帯にはニホンアシカが繁殖しており、その鳴き声が犬に似ていたことから、
犬吠埼と名付けられたという説もあります。」
昔、犬吠埼温泉、湯めぐり入浴券を売っていました。
1000円の入浴券で、6カ所に入浴できるとってもお得なキャンペーンでした。
その後、6カ所のうち3カ所選択で1200円となり、今は入浴券の販売はしていません。
「グランドホテル磯屋」「犬吠埼ロイヤルホテル」は廃業しています。
犬吠埼マリンパークは、2018年1月31日閉館。
1996年に犬吠埼観光ホテルが温泉開発を実施。1066メートルボーリングを実施して潮の湯温泉源泉を開湯しています。
2000年に犬吠埼京成ホテル(現:犬吠埼ホテル)も1300メートルボーリングにより黒潮の湯を開発しています。
<潮の湯>
ナトリウム・カルシウム-塩化物強塩温泉(高張性・弱アルカリ性・低温泉)
犬吠埼観光ホテルの敷地内で掘削され、内湯、露天風呂で使用されています。
<黒潮の湯>
ナトリウム-塩化物強塩温泉(高張性・弱アルカリ性・低温泉)
犬吠埼ホテルの敷地内、地下約1300 mの深さまで掘削され、同ホテルの露天風呂および足湯で使用。
ホテルニュー大新とぎょうけい館にも提供されています。
<屏風ヶ浦温泉>
ナトリウム-塩化物冷鉱泉(低張性・弱アルカリ性・冷鉱泉)
源泉を輸送し、犬吠埼太陽の里で使用されています。
犬吠埼京成ホテルが2012年3月31日閉館し、現在は犬吠埼ホテルとなっています。
(画像は犬吠埼形成ホテル時のもの)
温泉使用は露天風呂のみです。
内湯はケロリン桶使用。
露天風呂からは、海がかろうじて見えます。
明治44(1911)年の初夏、与謝野鉄幹・晶子、佐藤春夫らは、新詩社の同人と犬吠埼を訪れています。
大新楼(現:大新旅館)に1泊し、利根川を上り香取神社を訪れています。
「あら磯の犬吠岬のしぶきをば肩より浴びてぬれしかたびら」(青海波より)
大新旅館(銚子市中央町10-27 0479-22-4190)は、銚子駅近くの宿で、温泉は使用していません。
内湯からも露天風呂からも、絶景です。
2023年1月16日営業終了、1月31日閉館です。
明治7(1874)年創業から149年の歴史に幕を閉じました。
かつては伊藤博文や国木田独歩、島崎藤村、高村光太郎らが宿泊しました。
犬吠埼の温泉宿はかつての半分以下の4軒となりました。
以下、以前の入湯記録です。
湯舟小さく、想定外に良かったです。
○海ぼうず 銚子市新生町1-36-11 0479-25-3339
混みますね。
○生まぐろ専門店 久六 銚子市新生町1-36-49 0479-22-1038
きんめ鯛専門店から生まぐろ専門店に変更。以前のほうが良かった。
〇魚料理 常陸 銚子市新生町1-36 0479-24-9541
○ウオッセ21 銚子市川口町2-6529-34
食事処もあります。
<銚子漁港>
○浜めし 千葉県銚子市竹町1545-8 0479-25-9030 8:00-17:00 食事
「浜めし」は朝から営業していて、大衆食堂です。
朝食を「浜めし」で朝定食。
昼食を「浜めし」で刺身定食。
1日に2回行ったら、覚えられていました。
銚子は「海ぼうず」「久六」「常陸」とも観光客多いですが、ここは穴場です。
享保年間時代からの300年近い歴史があった「銚子温泉 青野屋」が震災後に廃業・更地になりました。
青野屋の歴史をひもといてみますと、歴史が凝縮されています。
「松岸地区における遊郭の成立と展開」(加藤晴美)の記載と、現地確認を踏まえまとめてみますと、
江戸時代、松岸河岸は、銚子を訪れる旅人が下船する場所でした。
松岸遊郭があり、遊女屋が5軒、遊客に酒食を供し、遊女屋へ案内する引手茶屋が置かれ
青野屋も引手茶屋のひとつでした(創業当初は寿司屋として営業)。
青野屋や結婚式場の広い駐車場は「竜宮城」などと形容された貸座敷(遊女屋)の第2開新楼跡です。
結婚式場は貸座敷の第1開新楼跡で、中庭の一部がそのまま残され、石碑も現存していました。
昭和16年1月に第2開新楼は鉱泉水の分析を受け、経営悪化の中、温泉を売りに存続を模索するも、
同年11月に遊郭は解散します(貸座敷は第1、第2開新楼、引手茶屋は青野屋、平田屋、津の国屋)
第2開新楼跡地で温泉旅館が営業されます。
青野屋旅館を訪れた際には古い掲示物が多く驚きました。
古い旅館業の許可書では「温泉宿利根川」となっていました。
さらに!昭和16年1月の分析書が掲示されていました。
(標記文献では銚子市の分析とありますが、実物は東京市衛生試験所の分析でした)
依頼者は宇野澤三郎とあり、第二開新楼の経営者と思われます。
この分析書に遊郭が生き残りをかけた模索が凝縮されているわけで、
関係者としては、はずすにはずせない分析書だったんだろうなと思えます。
青野屋旅館は、第二開新楼を継承していますが、
引手茶屋青野屋を継承しているとも考えられ、あえて言えば両方ということになるのでしょう。
青野屋旅館の青野多美子氏から現地で教示された内容が標記文献に度々登場します。
利根川の流れに沿って下流へ向かう水郷ライン。
国道6号線の利根川手前から水郷ラインで銚子へ。
利根川の千葉県側の水郷ラインではなく、利根川左岸の茨城県側を走りましたが。
信号ほとんどないので、利根川のどちらを走っても、すいすいです。