山武市
○ 成東山不動院最勝寺
・ 伊藤左千夫生誕の地
・ 伊藤左千夫歌碑
○ 蓮沼シーサイドイン小川荘
・ 与謝野鉄幹歌碑
・ 天地開明
・ 伊藤左千夫歌碑
○ 観光案内所 わが街ご案内処
○ 古谷乳業
1897(明治30)年5月1日、総武鉄道の佐倉駅―成東間が開業し、成東駅が開業しました。
続いて、成東―銚子間が同年6月に開業しました。
1900(明治33)年に塚本衛が浪切不動院院の境内にて、ラジウム鉱泉を発見し、
1901(明治34)年に鉱泉旅館として開業しました。
成東鉱泉「成東館」は、多くの文士や名士たちが訪れ、賑わいました。
尾崎紅葉と泉鏡花はともに1902(明治35)年に宿泊。
他に徳田秋声、岡本綺堂、半井桃水、松本幸四郎、床次竹二郎ほか多数が宿泊しました。
2階建ての宿と別棟に鉱泉浴場を構え、2つの浴室は宿泊者専用で男女日替わりで使用していました。
成東鉱泉の泉質は、含鉄炭酸食塩泉でした。
残念ながら、昭和初期のお家騒動で1930(昭和5)年に廃業となります。
現在は成東館の面影は、鉱泉碑と鉱泉井戸の跡を残すのみです。
(参考)
「全国温泉鉱泉ニ関スル調査」(内務省衛生局 大正12年)
「日がへりの旅 : 郊外探勝」(松川二郎 東文堂 大正8年)
本書に掲載の「成東鉱泉」です。
本文よると、石塚山には蚕零供養堂という蚕の霊を祀る供養堂があったとのこと(現存は確認できず)。
「一日の行楽 成東鉱泉」(田山花袋)
田山花袋が成東鉱泉について、一日の行楽で取り上げています。
<現在の成東鉱泉「成東館」跡>
浪切不動院境内に鉱泉の由来説明板、井戸跡、鉱泉碑があります。
「成東山 不動鉱泉」
「塚本衛鉱泉碑」
塚本衛は、ラジウム鉱泉を発見した人。
「鉱泉井戸」跡
<鉱泉旅館「成東館」の由来>
(説明文)
「鉱泉旅館「成東館」の由来
明治三三(一九○○)年、塚本衛は、当地にラジウム鉱泉を発見、翌三四年五月に、町長伊藤弘道と協力して、成東鉱泉株式会社を設立、不動院境内の隣接地に、鉱泉旅館「成東館」を開業した。
明治四○年四月、旅館の所有権は、村井むつ(後に原田姓)に移譲され、妹の鵜沢こうが、女将として経営の衛に当った。
昭和五(一九三○)年頃に廃業、それまでの約三○年間、原田貞夫(東宮侍医)・半井桃水(記者・作家)の後援を受けて県下唯一の鉱泉旅館として栄えた。
尾崎紅葉・徳田秋声・岡本綺堂・床次竹二郎らの文士・名士の湯治客も多く、泉鏡花の小説「新泉奇談」戯曲「愛火」の舞台になった旅館である。
明治の奇人小川定明が下男奉公をしていた宿としても知られている。
成東館即事 伊藤左千夫
(以下略 埴岡短歌会で詠んだ伊藤左千夫の短歌が記されています。)」
、成東山不動院最勝寺は、「浪切不動院」の名で知られています。
不動院は標高30mの石塚山(石塚の森:千葉県指定天然記念物)中腹の岩石上に建てられています。
回廊からは九十久里浜の眺望がのぞめます。
<仁王門前>
仁王門前の街灯には、「伊藤左千夫生誕の地」のプレートがあります。
こんな上にあったら、気づきにくいですね。夜は明かりで目立ちそうです。
来た時には仁王門に眼がいって気づかず、帰りに気づきました。
また、とても大きな「普門品供養塔」があります。
<仁王門/寺号標>
仁王門。扁額は「成東山」。寺号標は「成東山 浪切不動院」。
<境内>
境内は、きれいに剪定された木々。
訪問時、植木業者が選定作業をしていました。
<仏足石>
<表忠碑>
大きな日露戦争の表忠碑です。希典書。
<本坊>
こちらは薬師如来の霊場となっています。
<不明の建物>
昔の成東館の鳥瞰図を見ると、この位置は立地跡ではありませんが気にになる建物です。
<階段参道/弘法大師硯石>
参道階段下右手に不動明王。
参道の階段を上がったところに「弘法大師硯石」。
<観音堂>
最初の階段を上がって、次の階段へ向かう途中に「観音堂」。
「新上総33観音霊場第32番札所」です。
観音堂の裏にも、登り口があります。
観音堂の右手に「伊藤左千夫歌碑」があります。
(碑文)
「石塚の岩辺の桜ひた枝に苔むすなべに振りさびにけり 左千夫歌」
1906(明治39)年3月8日、伊藤左千夫が母の三回忌に墓参のため帰郷した時に、
成東館での埴岡短歌会で詠んだ歌です。昭和37年7月30日建立。
<弘法大師修行像>
<不動院長勝寺本堂説明板と景観>
<御本堂>
階段を上りきると、御本堂の裏手。表に廻ると足がすくみます。
扁額は「浪切不動尊」
<出世庚申尊>
御本堂の右手に出世庚申尊。
<石塚の森> 千葉県指定文化財天然記念物
旧蓮沼村殿下の小川新兵衛は、与謝野鉄幹を歌の師とし、
大正2年の頃から夏になると与謝野一家を書斎として建築した「水荘」に別荘として招いていました。
別荘の近くにある民宿小川荘の駐車場に、与謝野鉄幹自筆の碑が建立されています。
(碑文)
「きわやかに 黒きはだかの わだかげを まひるの土にうつす 天っ日 与謝野寛」
(裏面)
「大正二年 鉄幹は夫人晶子並びに五人の子を同行し蓮沼村殿下 網元小川新兵衛氏宅に遊び
九十九里浜の素朴をこよなく愛しこの詩も小川家に残した在りし日の一首である。
昭和五十八年十月四日 小川汀香 建立」
与謝野鉄幹歌碑と伊藤左千夫歌碑の中央に、堀進二作「天地開明」。
(碑文)
「砂原と空とより合ふ九十九里の磯ゆく人ら蟻のごとしも 伊藤左千夫」
(裏面)
「伊藤左千夫は成東町の出身 明治三十三年正岡子規に入門し、その没後根岸短歌会の中心として活躍
アララギ派興隆の基礎を作る
碑の歌は明治四十二年 九十九里浜に遊んだ際の作で左千夫の絶唱とされている
昭和五十八年十月四日 小川汀香 建立」
「観光案内所 わが街ご案内処」が成東駅前にあります。
画像は、「いちごの里成東 千葉県山武市」
古谷乳業は、昭和20年、千葉県山武郡成東町にて創業しています。