Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 おくのほそ道の風景地 草加松原@

  ○ おせん公園
   ・ 河合曾良像
   ・ 奥の細道記念碑
   ・ 草加せんべい発祥の地碑

  ○ おせんさんの像

  ○ 伝右川
   ・ 草加6丁目橋
   ・ 馬頭観音
   ・ 甚左エ門橋


おせん公園 草加市神明1-6

 おせん公園は、平成22(2010)年に完成しました。

 平成4(1992)年に草加煎餅協同組合と草加地区手焼煎餅協同組合が建立した「草加せんべい発祥の地碑」や
 市制50周年を記念して平成20(2008)年に「河合曾良像をつくる会」が建立した「河合曾良像」
 (彫刻家麦倉忠彦氏制作)が設置されています。

(解説板)
「解説板 おせん公園(Osen Koen Park)
●せんべい発祥の地碑
 草加せんべい草加せんべいの本家本元を全国にPRしようと、草加煎餅協同組合と草加地区手焼煎餅協同組合の2つのせんべい組合が、市民から募金を募って1992年(平成4)11月に建立されました。左にせんべいに見立てた円形の花崗岩(高さ3.3m)、右にせんべいを焼く箸に見立てた御影石(高さ5.7m)が置かれています。
●草加せんべいのルーツ
 草加せんべいのルーツにはいくつかの伝説がありますが、その代表的なものは、日光街道草加松原に旅人相手の茶屋があり、おせんさんのつくる団子が評判だったということによります。おせんさんは、団子が売れ残ると川に捨てていましたが、ある日それを見た武者修行の侍が「団子を捨てるとはもったいない、その団子をつぶして天日で乾かして焼餅として売っては」と教えました。おせんさんが早速売りだしたところ大評判になり、日光街道の名物になったと言われています。」

     
 

河合曾良像> 草加市神明1-12

(解説板)
「解説板 松尾芭蕉翁像と河合曾良像(Matsuo Basho and Kawai Sora)
 河合曾良像とこの先の札場河岸公園内の松尾芭蕉翁像とは100メートル離れ、建立された年も異なりますが、二つの像は対をなす作品です。これらの像は、元禄二年弥生二十七日(1689年5月16日)、草加に奥の細道への歩みを印した俳人・松尾芭蕉と門人・河合曾良の旅姿を表現しています。両像とも草加出身の彫刻家・麦倉忠彦氏の作品です。芭蕉翁像は、1989年に奥の細道旅立ち300年を記念して市民団体「芭蕉像をつくる会」が建立しました。一方、曾良像は、2008年に草加市制50周年を記念して市民団体「河合曾良像をつくる会」が建立しました。いずれも市民から浄財を募って建設資金としています。芭蕉翁像は友人や門弟たちの残る江戸への名残を惜しむかのように見返りの姿をし、曾良像は先を行く芭蕉を案じて、何かを呼びかけているようです。曾良像の建立を報じる広報そうかには「20年前に芭蕉翁像は制作されており、ようやく2体がめぐり会いました」と記され、制作者や市民の息の長い活動と情熱を讃えています。(以下略)」

    

    

   
 

<芭蕉 奥の細道 紀行三百年記念> 草加市神明1-6

 裏面を見ると、個人の建立です。

   
 

草加せんべい発祥の地碑> 草加市神明1-6

 (説明石板)
 「草加せんべい発祥の地
  草加が全国に誇る伝統産業の「草加せんべい」を継承し、後世に伝えるため、
  ここに多くの市民等の賛同を得て、「草加せんべい発祥の地碑」を建立する。
   平成4年11月せんべい・あられの日
   草加せんべい発祥の地碑建立実行委員会(以下略)
  この地で発祥した塩せんべいはその豊かな味と香りにより草加の名を全国にひろめた。」

     
 

おせんさんの像> 草加市高砂2-9 草加駅東口

 草加せんべいの伝説上の創始者といわれるのが「おせんさん」です。
 売れ残った団子を平らにして焼いて売り出したのが始まり。
 草加駅東口で、草加せんべいを焼いています。
 向こう側には、せんべいを食べているアコちゃんがいます。

      
 

<草加せんべい パリポリくん>

 草加せんべいのマスコットが「パリポリくん」。

  


伝右川

草加6丁目橋> 草加市神明1丁目

 草加6丁目橋は伝右川に架かる橋で、かつては大橋と呼ばれました。
 橋の欄干には、せんべいを焼く「おせんさん」のレリーフが施されています。
 平成2(1990)年に、国土交通省「手づくり郷土賞」を受賞しています。

    
 

馬頭観音> 草加市栄町1-1-11

 (説明板)
 「この辺りは宿篠葉村大橋西と呼ばれていた。
  草加市史調査報告書「草加の金石」によれば、市内に四十二基の馬頭観音が確認されている。
  かつて牛馬は農耕などで人々の労役の手助けをしてきた。
  牛馬の健康祈願や死後の菩提を弔うために造立したものである。
  この度埼玉県伝右川遊歩道化事業で再移築された。
   昭和二十四年六月吉日
   協力 歴史民族資料館 うるおい工房村」

     
 

<伝右川の歴史と現状>

 井出伝右衛門が開削したとされ、川の名前は開削者に由来し伝右衛門堀とも呼ばれていました。

   
 

甚左エ門橋> 草加市神明2-4-16

 草加6丁目橋の下流に架かるのが甚左エ門橋です。
 船着き場の新設工事を行っていました(令和2年3月27日まで)

    
 

<なまず> 草加市神明町2-4-19

 建設会社のマスコット看板のなまずのモニュメントも目立ちます。

  


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