Discover 江戸史蹟散歩
 
 奉献石燈籠 増上寺

  ○ 狭山山不動寺


○狭山山不動寺 所沢市上山口2214 開門時間:10:00−15:00

     
 

太田道灌の御神木>

 「この銀杏の大木は、江戸城を築いた太田道灌が城砦を構えていた城山城跡にあったものである。」
 日比谷公園の首かけ銀杏が450m移すのに25日かかったのが想起されますが、
 東京から所沢への移植で、よく定着したなと思います。

 城のあった山は一般的に城山と呼ばれるので、説明文の内容ではどこにあったのか不明です。
 候補地多すぎてわかりません。
 ・城山跡 中野区中野 豊島氏と戦った道灌砦跡とも言われています。
 ・愛宕山城/城山 練馬区上石神井(早稲田高等学院)
  豊島氏の石神井城を攻める際に道灌が築城。
 ・番神山城や飯倉城山
 ・道灌山 城山とも呼ばれる。
 ・西久保城山(港区虎ノ門4-3辺り)
  (ホテルオークラだったかの工事かなんかで、道路脇の銀杏の大木を移植した記載を
   どこかで見たような気がします。)

    
 

<勅額門> 国重要文化財

 台徳院(二代将軍徳川秀忠)霊廟勅額門です。
 寛永9(1632)年、家光建立。重文。
 第108代後水尾天皇の勅額です。

(説明板)
「勅額門(重要文化財)
元、東京芝の徳川家台徳院一品大相国公(二代将軍秀忠公)の御廟に建立されていたものである。
寛永九年(一六三二年)孝養報恩の志をのべたいと、三代将軍従一位左大臣徳川家光公が着手し、建立したもので、現在国指定の重要文化財となっている。
 構造形式 四脚門 銅板葺 切妻造り
 昭和五十年四月二十六日
 天台宗別格本山 狭山山不動寺」

    

   
 

<御成門> 国重要文化財

 台徳院(二代将軍徳川秀忠)霊廟御成門。
 寛永9(1632)年、家光建立。重文。
 「天人門」の別称があり、飛天の彫刻があります。

(説明板)
「御成門(重要文化財)
元、東京芝の徳川家台徳院(二代将軍秀忠)の御廟に建立されていたものである。飛天の彫刻や絵画が多く描かれており朝鮮渡来の天人門といわれている。
寛永九年(一六三二年)三代将軍従一位左大臣徳川家光公が着手建立し格天井の中央に丸い鏡天井が設けられ珍しい特徴を伝えている。
現在国指定の重要文化財となっている。
 構造形式 単層門 銅瓦葺 切妻造り
 昭和五十年四月二十六日
 天台宗別格本山 狭山山不動寺執事」

    
 

<不動寺総門>

 長州藩江戸屋敷門を移建。

(説明板)
「不動寺総門
元長州(現在の山口県)藩主毛利家の江戸屋敷に建てられた門である。
素材はすべて「けやき」で造られ直線がたくみに組み合わされておりいかにも武家屋敷の門にふさわしく表現されている。
清廉豪快で質素ななかにも威風堂々としており気品も高くめずらしい門である。
 構造形式 総けやき材 銅瓦葺 切妻作り
 昭和五十年四月二十六日
 天台宗別格本山 狭山山不動寺」

   
 

<本殿と燈籠>

 桂昌院、清揚院、文昭院、惇信院の奉献石燈籠が本堂の周りに配置されています。
 清揚院は、徳川綱重、甲斐甲府藩主。徳川家光の三男。5代将軍徳川綱吉の兄。6代将軍・徳川家宣の父。

     

      
 

<桂昌院殿宝塔>

 桂昌院殿(お玉さん)宝塔がこちらにあります。宝塔には輪宝が刻まれています。
 桂昌院殿は、増上寺の合祀塔に改葬されており、宝塔のみ移設されています。
 墓碑が足立区安養寺の本荘家墓域に建てられています(記載済)。

    

   
 

<第一多宝塔> 埼玉県文化財

 「奉拝進」「台徳院殿尊前」2基があります。
 第一多宝塔は、大阪の旧畠山神社から移築。

    
 

<丁子門> 国重要文化財

 崇源院(お江の方・二代将軍徳川秀忠正室)霊廟・霊牌所丁子門。重文。

(説明板)
「丁子門(重要文化財)
元、東京芝にある徳川家崇源院霊牌所の通用門として 寛永九年(一六三二)三代将軍家光公が建立したものである。建築の細部手法、色彩等に江戸初期に見られる特有な階調を示し唐様な基調としているが自由な扱いをしているところに特徴がある。
現在国指定の重要文化財になっている。なお崇源院は二代将軍徳川秀忠夫人大閣豊臣秀吉の側室淀君の妹にあたる。
 構造形式 平唐門 銅板葺
 昭和五十年四月二十六日
 天台宗別格本山 狭山山不動寺」

   
 

<弁天堂/弁財天>

 「桂昌院殿尊前燈籠」があります。
 近江清涼寺(井伊家菩提寺)から昭和23年に移築。
 本尊は東叡山寛永寺現龍院から遷座した仏像です。

     
 

<羅漢堂/羅漢堂山門/唐金灯籠>

 羅漢堂は昭和28年港区麻布井上馨邸を移築。
 羅漢堂山門は虎ノ門田中平八郎邸の門を移築。
 木母寺に伊藤博文の揮毫による「天下之糸平」石碑があります。記述済

(説明板)
「羅漢堂
明治の元勲として有名な故井上馨公が還暦の祝賀の際、明治天皇、昭憲皇太后、両陛下の御下賜金を基として明治二十八年(一八九五)公が、内務大臣の時、山縣有朋・伊藤博文・大隈重信等の発起で、三井・鴻池・住友・岩崎その他の財界の名士により寿象と共に奈良二月堂の経堂を模倣し、名工根本茂樹によって公の屋敷内に建立されたもので、昭和二十年四月、戦災で、このお堂だけが残り、当主井上三郎氏が寄贈し、当境内に移築されました。
 構造形式 銅板葺
羅漢堂山門
昭和二十九年、虎の門、元田中平八郎邸より移築したものである。氏は海外貿易で天下の糸平といわれた生糸商人で有名である。
 構造形式 むくり破風、銅瓦こけら葺
唐金灯籠
東京芝徳川家台徳院霊廟に建てられたもので、全国の大名から献納されたものである。
 天台宗別格本山 狭山山不動寺執事」

   

    

    
 

<大黒堂>

 大和極楽寺歌塚堂を昭和38年移築。
 大黒天は東叡山寛永寺見明院から遷座した仏像です。

   
 

<第二多宝塔>

 兵庫の椅鹿寺から昭和39年に移築。

   
 

<桜井門>

 桜井門の前に駐車場があります。下調べ不十分で開門時間の10時前に到着、閉門していました。
 お隣の山口観音を先に参拝しました。

    

 桜井門から入ると、清揚院と桂昌院の燈籠がずらりと並んでいます。
 桜井門は、大和桜井寺山門を移築。
 桜井寺は幕末天誅組の本陣として利用されたこともあるとのこと。

   

    


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