[東部]
○ 湯殿山大日如来像 聖徳寺(北川崎)
○ 月山 湯殿山
羽黒山 供養塔 観照寺跡弥十郎会館(弥十郎)
○ 月山 湯殿山 羽黒山
百番 供養塔 清涼院墓地(増林)
○ 月山 湯殿山
羽黒山 百番 供養塔 路傍(越ヶ谷)
○ 湯殿山
月山 羽黒山 大里自治会館前墓地(大里)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 供養塔
不動堂(下間久里)
<塩地蔵尊>
参道を進むと、右手に小さなお堂に塩地蔵が祀られています。
<湯殿山大日如来像>
塩地蔵を越えた参道右手に、物置の左右に無縁仏の石塔が集められています。
左手石塔群、最後列の右から3番目に湯殿山大日如来坐像の塔があります。
上部に大日如来坐像を浮き彫り。
正面「奉造立湯殿山大日如来」
(石塔間の隙間が狭く草も生えていてよく見えず、越谷市郷土史研究会資料にて確認)
宝暦4(1754)年の造立です。左側面に「同行」と刻まれています。右側面は隙間なく確認できず。
聖徳寺の参道の右手に向畑観音堂(堂面の観音堂)と墓地があります。
庚申塔や六地蔵石幢などがあります。
境内というか広場の西のフェンス沿に祠と石塔群が南北に一列に並んでいます。
<祠>
祠には「不動明王三尊像」が祀られています。
<出羽三山供養塔>
石塔群は、庚申塔、普門品供養塔、出羽三山供養塔、墓碑とあります。
右から4つ目に出羽三山供養塔があります。
正面「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」
右面「天下泰平 國土安全」造立年月日記載。文化14(1817)年の造立です。
左面「埼玉郡弥重良村講中」「大先達 大乗院」
清涼院はなく、今は墓地だけが残っています。
墓地に入って左手の塀沿いに、種々の供養塔が並んでいます。
その中に出羽三山供養塔もあります。
<出羽三山供養塔>
文化7(1810)年の造立です。
「月山 湯殿山 羽黒山 坂東 西國 秩父 奉順禮百番供養塔」
左脇「國土安穏」
右脇「天下泰平」
「地蔵菩薩坐像」「奉納石燈籠念佛」(享保7(1722)年)
「歴住塔」
歴代住職の供養塔が並んでおり、こちらは標石です。
「十三仏供養塔」(明和7(1770)年)
「三界萬霊等」(寛延4(1751)年)
寛延4(1751)年の造立。
右側面に「拾九夜念佛供養塔」とあり、十九夜塔を兼ねています。
如意輪観音が陽刻されています。
「風屋嶺順庵主」
清涼院の住職の尼僧の戒名が刻まれています。元禄10(1697)年。
<鞘堂>
中央左 地蔵菩薩立像 寛文元(1661)年 念仏講の石地蔵です。
中央右 地蔵菩薩立像 安永 4(1775)年
出羽三山供養塔が、葬儀会館ティア越谷の裏手に単独でひっそりと建っています。
正面中央「月山 湯殿山 羽黒山 百番観世音奉供養塔 為二世安楽也」
正面右下「元祖 井橋清兵衛」
正面左下「 行年七十三才書」
左側面に造立年月を刻む。文化14(1817)年9月の造立です。
【近くの2祠】
鳥居には「八幡宮」とあります。さらに右手に鳥居の祠。
「八坂大神 道祖大神」碑があります。
<出羽三山碑>
出羽三山碑があります。
正面「湯殿山 月山 羽黒山」
右側面 造立年月日。天保15(1844)年の造立です。
台正面「大里村講中」
旧日光街道から少し中へ入ると不動堂があります。
<出羽三山供養塔>
不動堂の横に石塔が7基並び、右端に出羽三山供養塔があります。
正面 「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」台正面「講中」
右側面「天下泰平 國土安全」
左側面 造立年月日(安永元(1771)年の造立)。
「武州埼玉郡新方領下間久里村」
不動堂のすぐ近く北にあるので寄ってみました。
江戸時代の碑が並びます。出羽三山供養塔はありません。