【戸田市】
○ 羽黒山大権現
(上戸田氷川神社)
○ 月山 湯殿山 羽黒山
供養塔 (喜沢神明神社)
○ 月山
湯殿山 羽黒山 供養塔 (徳祥寺) ※別頁
○ 月山
湯殿山 羽黒山 西國坂東秩父(安養寺) ※別頁
<有形文化財>
力石及び旧羽黒山句碑・石造物が戸田市の有形文化財(歴史資料)に指定されました。
2021年(令和3年)3月19日指定。
戸田市の文化財サイトより一部引用します。
<力石>
戸田市では現在19基の力石を確認でき、その内上戸田氷川神社には15基確認されています。銘文には「亀遊石」「大盤石」など石の名前を刻んだもの、「二十六貫目」のように石の重量を書くもの、「上戸田村」や「蔵前大地」「南新川」などの江戸の地名、「三ノ宮卯之助」「東助」などその石を持ち上げた人の名が残っています。
<羽黒山関係の石造物群>
羽黒山関連の石造物は芭蕉句碑、石碑、標柱、狛犬、水盤で構成されています。各石造物の銘文から江戸時代中期から後期にかけて「大根河岸」「石河岸」「南新川」「根津」など江戸町内・河岸場から多く奉納されたことがわかり、江戸時代の羽黒山の賑わいとともに、荒川を通じた戸田と江戸との交通・信仰の様相を知ることができる貴重な文化財です。
<上戸田火川神社と羽黒社>
(説明板)
「上戸田氷川神社と羽黒社
上戸田氷川神社の創立は、縁起によると永徳二年(一三八二)と伝え、古くから旧上戸田村の鎮守として祀られてきました。
祭神は、素戔嗚命で、明治六年に村社となり、明治四十年に旧上戸田村にあった羽黒社道祖神社、山王社、稲荷社などを合祀しています。
境内には、寛政十年(一七九八)の銘がある石造の大鳥居や、延宝元年(一六七三)十月造立の市内で最も古い庚申塔があります。
羽黒社は合祀されていますが、以前はボートコース下流の水門の付近にあったと思われます。出羽三山信仰のひとつ羽黒山大権現を勧請したものです。この社は、天保年間(一八三〇ー)に刊行された『江戸名所図会』にも挿絵入りで賑わった様子が紹介されています。
また、「江戸日本橋」と銘のある手洗石や狛犬、当時の若者達が力自慢に差し上げた力石、文政七年(一八二四)の銘がある「涼しさやほの三日月の羽黒山」と刻まれた芭蕉の句碑などが移されています。
平成八年三月 戸田市教育委員会」
<大鳥居>
大鳥居は寛政十(1798)年の建立。
<庚申塔>
大鳥居の右側に、庚申塔があります。
庚申塔は延宝元(1673)年10月の建立で、戸田市内で最も古いものです。
下に三猿と二鶏が彫られています。
隣の光明真言供養塔は文化13(1816)年の建立。
<力石>
力石が2カ所に集められています。
<狛犬>
<手水鉢>
「文化13年9月」銘の手水鉢。
「浅草御門外 平右衛門町 石屋半七」
浅草御門は現在の浅草橋南詰にありました。浅草平右衛門町は現在の浅草橋1丁目。
<拝殿>
拝殿の右側に、羽黒山大権現があります。
「羽黒山大権現」の大きな石塔は、享和2(1802)年6月の建立。
羽黒神社狛犬は、享和元(1801)年9月。
屋根囲いの中に「羽黒山大権現」
手水その1 享和元(1801)年12月。八丁堀の新川や日本橋の名前が見えます。
手水その2 もう一つは京橋講中奉納、嘉永7(1855)年。
手水その3 安永6(1777)年6月銘。
「芭蕉句碑 涼しさや ほの三日月の 羽黒山」
<伏見稲荷>
拝殿の左側に伏見稲荷。二宮尊徳像があります。
<戸田川渡口羽黒権現宮(江戸名所図会)>
<庚申塔>
明和6(1769)年12月
<月山 湯殿山 羽黒山 供養塔>
文政3(1820)年。
笠付きの出羽三山供養塔は珍しいかと思います。