源泉名「磯部温泉 恵みの湯」ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉(低張性中性冷鉱泉)
(以前は「R4号井」との混合泉)
加水・加温・循環ろ過・塩素注入
内湯は、小さな浴槽に温泉使用です。
かんぽの宿は、2019年12月20日で、11カ所が営業中止となり、ここも対象施設の一つです。
【11か所】
郡山(福島県)、磯部(群馬県)、勝浦(千葉県)、箱根(神奈川県)、諏訪(長野県)、
岐阜羽島(岐阜県)、富山(富山市)、浜名湖三ケ日(浜松市)、
湯田(山口市)、徳島(徳島市)、別府(大分県)
※2022/08/31閉館しました。→2024/6/22再開しました。
2015/8休業、2016/1/21再開。
以下は休業前の記録です。
水車がなくなり、沼津港直送の幟がなくなったようで、古い記録です。
どんどこどんどこ山の中へ。
源泉名「砦乃湯」ナトリウム-炭酸水素塩温泉(弱アルカリ性低張性温泉)
内湯:かけ流し 露天:加温
内風呂はどかどかオーバーフロー。露天風呂より鮮度が良いです。
内湯は泡付きあるのかと思うもありませんでしたがぬるすべの良い湯です。
(炭酸水素イオンほぼ1000mgと多し)
露天風呂は加温循環で、でかい露天風呂なので吸湯口は凄い勢いで吸入。湯温は適温。
オーバーフロー分は目に見える湯口より湯量が少ないです。
湯中に投入されている湯は加温されています。
【新聞記事引用】
「安中市松井田町上増田の日帰り温泉施設、砦乃湯(小板橋明代表)は17日、新館をオープンする。
新館は、現在の施設から200mほど北側の遊休地に建設。源泉かけ流しで、男女浴室とも露天風呂を併設。
約100uの大広間や42畳の和室大広間、個室3室(別料金)を設けた。
館内で静岡・沼津直送の海鮮など料理を楽しむことができる。
釣り堀を併設しており、川魚を焼くのに使う炭の焼き窯の余熱を露天風呂の加温に利用している。
砦乃湯は、釣り堀駐車場で小板橋さんが掘り当て、2002年にオープン。
ナトリウム―炭酸水素塩泉で、神経痛や筋肉痛などに効果があるという。
小板橋さんは「山奥の秘湯として親しまれてきたが、リニューアルを機により多くの温泉ファンに利用してもらえたら」と話している。
料金は大人1日1000円、3時間600円(小学生以下はそれぞれ半額)。
午前10時から午後9時まで。第1・3水曜定休。問い合わせは027-393-5418へ。」
※経営変わったので、電話番号は変更となっています。
1971年に開館した「きりづみ館」が2012(平成24)年4月に閉館し、霧積温泉は金湯館だけが営業しています。
「人間の証明」(森村誠一)の冒頭に、西条八十の「ぼくの帽子」が描かれています。
「ぼくの帽子」が様々な場所でお目にかかります。
<きりづみ館>
きりづみ館は、2012年4月27日、閉館しました。更地となる前のきりづみ館です。
<ぼくの帽子>
西條八十の「ぼくの帽子」の詩の看板があります。
「母さん僕のあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落とした、あの麦わら帽子ですよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。」
金湯館の弁当の包み紙に印刷されていたものだったんですね。
「母さん僕のあのデジカメどうしたでしょうね?
ええ、湯舟へ落とした、あのデジカメですよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり湯舟でこけたもんだから。」
<川田順の詩碑と説明碑>
川田順の詩碑と説明碑があります。
説明碑
「霧積温泉は曽て幸田露伴ら多く著名の士の来遊せし地な里
明治三十三年第一高等学校在学中の順は小山内薫と此処を訪れ
洪水のため荒廃せる姿をまのあたりにし、この詩を作り志といふ」。
川田順の詩
「川田順
火の山の浅間のふもと
紅葉照る谷間を縫ひて
碓氷川あら瀬あお淵
青く澄み白くは乱る
露霜のふりにし宿を
心なくこぼちな果てそ
山川の清きに居つつ
何しかも人の世恋ふる
ぬばたまの夢に見えたる
うつくしの山辺は此処と
深谷の笹の葉わけて
尋ね来しわれ等もあるを
この谷ぞ君がおくつき
忘れても都へ出づな
紅葉舟しかはね載せて
水の間に失せば浄けむ」
<登山道へ>
駐車場から霧積川沿いの「ホイホイ坂」を徐々に登り、1kmほど先の宿へ向かいます。
(現在は20分の上に30分の貼り紙、看板がもう一つ増えています)
<湯小屋と冬の風物詩水車>
まず最初に湯小屋と水車が目に入ります。
湯小屋は情緒あふれる外観です。
水車は昭和30年にディーゼルエンジンの自家発電開始前まで自家発電にも使われていました。
電気と電話が通じたのは昭和56年。
全長30mの樋を伝って流れる水で回る水車は、冬は水路が凍って氷柱となります。
この時期に見ることができる金湯館の氷柱は壮観でした。
<源泉湧出地>
自然湧出泉。小屋の周りだけ、雪がありません。
<玄関>
霧積川の橋を渡って玄関へ。
明治16年築の風格ある旧館の玄関から入ります。
玄関脇に、聖書の「ヨハネ伝四章十四節」を写した勝海舟の揮毫による石碑があります。
勝海舟は、明治20年頃に金湯館に湯留しています。
<館内→お風呂ば>
玄関内の暖簾には、「ぼくの帽子」が書かれています。
なお、日本秘湯を守る会は、平成26年3月1日に脱退しています。
「お風呂ば」手前の洗面所にも、温泉が使用されています。
<脱衣所>
<お風呂場>
手前女湯、奥が男湯の内湯のみ。完全かけ流しです。
源泉名「入之湯」カルシウム-硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性温泉)
浴槽はひとつ、小さいほうは蓋があり使用されていません。
オーバーフローで湯があふれています。
湯中は気泡いっぱい、肌は泡付きですぐに白くなります。
ぬるめでのんびり湯につかりました。
蛇口から温泉が出ます。
<与謝野晶子>
与謝野鉄幹・晶子が泊まっています。
与謝野晶子自選歌集(宿ホームページより) ※原典の表記に改めています。
霧積の山残りなく色づきて賢愚の別なき紅葉かな
北海にむかはん汽車の聲なども聞く霧つみの碓氷の峠
霧積が銀のきつねの皮ごろもしたたる裾のみ見ゆる食堂
霧積の泡盛草のおもかげの見ゆれどすでにうち枯れぬらん
しもつけの花うはじろみ霧積の碓氷の坂に秋かぜぞ吹く
はつあきの霧積やまの石の亭六方のまど霧にふさがる
霧積が霧のとばりをなかば上げ来よてふごとし軽井澤町
晶子鑑賞(平野萬里)から、霧積の歌を抜粋
「霧積の泡盛草の俤の見ゆれど既にうら枯れぬらん」
霧積温泉で見た泡盛草の白い花がふと目に浮んで来た。
しかし秋も既に終らうとしてゐる今頃はとうにうら枯れてしまつたことだらう。
蓋し凋落の秋の心持を「泡盛草」に借りて表現するものであらうか。
「霧積の霧の使と逢ふほどに峠は秋の夕暮となる」
碓氷の坂を登つてゆくと霧の国霧積山から前触れのやうに霧がやつて来て
明るかつた天地もいつしか秋の夕暮の景色になつてしまつた。