ほっと湯WEB【群馬】
 
 伊香保湯元

  ○ 伊香保露天風呂
    ・2号源泉地(源泉湧出口観覧所)
    ・ラドン発見の碑/建碑について
    ・若き日のベルツ博士
    ・上田五千石句碑
  ○ 河の湯/山の水
  ○ 伊香保温泉飲泉所
    ・浪子不動
  ○ 湯元呑湯道標
  ○ 源泉標識
  ○ 蘆花公園(旧湯元公園)
    ・徳冨蘆花歌碑
    ・徳富蘇峰詩碑
  ○ 温泉湧出口
  ○ 橋本ホテル(閉館)
  ○ 湯元通り


伊香保露天風呂  渋川市伊香保町伊香保湯元581-1 0279-72-2488

 源泉の噴出地も見ることができますし、飲泉所もあるし(激しくマズい)
 伊香保の温泉気分を味わえます。

 湯口側の浴槽も温めで、じっくりつかってきました。
 加水、加温なしの完璧かけ流しです。

     

     

     

     

   

 再訪 昔のトイレが封鎖されています。コロナ対策か老朽化でしょう。

     


2号源泉(源泉湧出口観覧所)

 総合湯(混合泉)のうち、湧出量が一番多く、黄金の湯の主力源泉です。

    

    

 再訪、基本同じ。

    
 

ラドン発見の碑/建碑について>

 源泉湧出口の奥に、「ラドン発見の碑」「建碑について」があります。

   
 

若き日のベルツ博士>

 (説明板)
 「ベルツ博士は日本温泉医学の父であり、わが伊香保温泉にとって大恩人であります。
  明治初期(1870年代)数多い日本の温泉のなかで博士に第一番に系統的指導を受けたのが
  伊香保温泉であり、この時の指導内容が日本鉱泉論として発表され日本温泉医学の原典になって
  おりますことは当町の最も誇りとするところであります。」

    

 銅像頭部裏面「日本彫刻会々員 能登藤吉郎 作」

  
 

上田五千石句碑>

 若き日のベルツ博士胸像の正面に、俳句ポストを兼ねた上田五千石の句碑があります。
 「家にあれば 寝るころほひを 萩と月  五千石」

   
 

<不詳の碑>

 不詳の碑

  


河の湯/山の水

 伊香保露天風呂脇に「河の湯/山の水」の垂れ流しがあります。
 山の水は冷たく、河の湯は温めです。

     

    


伊香保温泉飲泉所  渋川市伊香保町伊香保湯元

 5号源泉の単独使用です。単純泉とは思えない、えらくまずい源泉です。

     

     
 

<石碑>

 いつの間にやら、石碑が3つ加わっています。いつどこからもってきた? 2013年頃かな。
 浪子不動は蘆花公園から移設されたと思うけど。

    
 

<伊香保温泉5号井 飲用上の注意決定通知書>(平成26年9月19日)

<分析書>(平成20年2月18日)
 源泉名「伊香保温泉(黄金の湯5号井)」
 施設名「伊香保温泉飲泉所(湯元呑湯)」
 湧出地「渋川市伊香保町伊香保字甲湯元578」

<温泉利用許可済証>

      


湯元呑湯道標

 (説明板)
 「明治期ドイツ人医師ベルツ博士の指導により飲泉療法が盛んになり呑湯所も設置されたと考えられます。
  この道標は、浴客にとって不案内な土地での道案内に建てられました。
  呑湯という土地内の一ヶ所を指示する道標は全国でも珍しく交通史、風俗史として貴重なものです。
  (中略) 昭和五十五年九月指定  渋川市教育委員会」

    


源泉標識  渋川市伊香保町甲湯元585

 5号井の源泉標識です。

    
 

 源泉標識の周辺です。あちこちで温泉が湧いています。泉温は低いです。

    


蘆花公園(旧湯元公園)

 伊香保は、徳冨蘆花が昭和2年7月から滞在し、9月18日に亡くなった終焉の地です。

 徳冨蘆花は、随筆「春の山から」において、伊香保の体験を綴っています。
 明治31年5月の1回目の伊香保逗留では
 「湯好、宿好、眺望好 ー 私は悉皆伊香保に惚れました。
  (略)全く伊香保に惚れました。(略)私は伊香保がしみじみ好きになりました。
  (略)其秋から国民新聞に載せはじめた小説不如帰の除幕の舞台に伊香保を使ったのも、
  其印象が忘られぬ為でした。」と書いています。
  伊香保には計10回来ています。

 伊香保露天風呂の手前に、蘆花公園があります。
 公園内手前に徳富蘇峰漢詩碑、奥に徳冨蘆花歌碑があります。苔むした緑地です。
 徳冨蘆花の命日である9月18日に、蘆花歌碑前で、伊香保まつりの一環で、蘆花追悼式が行われています。
 2020年9月の伊香保まつりは、コロナ対策で中止となりました。

    
 

徳冨蘆花歌碑>

 「昭和三年五月一八日
  千明主人誌」
 「うめよ殖えよ 湧けよ流れよ とこしへに 生命の力 仁の泉」
 蘆花は昭和2年9月18日、千明仁泉亭で永眠しています。
 千明仁泉亭に残された歌のようです。

    

   
 

徳富蘇峰詩碑「蘆花亡弟紀念碑成有感」>

 兄蘇峰の弟蘆花を想う漢文が刻まれています。
 昭和27年9月、角谷千代太郎建立。
 「徳富蘇峰記念館」(神奈川県二宮町)のHPに、蘇峰詩碑を製作中の写真があります。
 写真を見ると、蘆花公園の前の名称は湯元公園だったようです。
  
  
 

浪子不動>

 飲泉所にある浪子不動尊の石碑は、蘆花公園から持ってきたと思われます。
 飲泉所からは徳冨蘆花を連想しにくいので、蘆花公園に存置されているほうが自然と思いますけれどもね。
 案内図には、飲泉所「縁結び(浪子不動)」と記載されています。

  
 

<蘆花全集より抜粋>

 明治20年京都同志社時代20歳    徳富鶴子(5歳)と37歳     大正7年2月書斎にて51歳 
 
    
 

 徳富蘆花とトルストイ翁及び令嬢アレキサンドラ(トルストイ夫人撮影)

   


温泉湧出口

 蘆花公園の下に、過去の温泉湧出口があります。
 説明板がほとんど読めません。

    


橋本ホテル

 2019年4月閉館・10月25日破産。負債額8億8千万円。
 源泉地に一番近かった宿で、そのうち行こうかなと思っているうちに閉館です。

  


湯元通り

 湯元通りを河鹿橋から伊香保神社へ進むと、廃墟が目立ちます。
 湯元茶屋が営業していましたが、コロナ対策で店内営業なして、テイクアウトのみの営業です。
 地図に掲載されているホテル紅葉、柏屋旅館、橋本ホテルはいずれも閉館しています。

   
 

<綜合湯(本線)>

 4号・6号が動力揚湯、3号は温泉水位の調査井、
 1号・2号・5号が自噴泉です。

 ボーリング源泉・自噴泉及び自然湧出旧源泉は下流の1か所に集められ、
 総合湯(本線)として自然流下によって温泉街に引湯されています。

 確信はないですが、河鹿橋の山側にある、ここが1カ所に集められた綜合湯(本線)と思います。

  
 

<湯元通り>
  
 河鹿橋〜湯元茶屋〜公衆トイレ〜伊香保神社社号標

    

     

     

      


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