鹿沢温泉は、古くは「山の湯」とも呼ばれ、
湯の丸山の中腹の標高1,525m、湯尻川沿いにあります。
泉質は pH7.0 の炭酸水素塩温泉で、源泉温度は46℃、毎分480Lが自然湧出しています。
「鹿沢」とは、手負いの鹿が湯治をしていたところを発見した開湯伝説に由来しているとされます。
大正7(1918)年の大火で温泉街は焼失しました。
翌大正8(1919)年に紅葉館のみが以前の場所に建設され、
他の旅館は、引湯管を整備して現在の新鹿沢温泉に移転しました。
「雪山讃歌」発祥の地としても知られ、
紅葉館の向かいに「雪山讃歌の碑」が建てられています。
「雪山賛歌」メロディーラインが2010年4月に敷設されています。
鹿沢温泉では、3本の源泉が6軒の旅館と1軒の日帰り入浴施設に利用されています。
・雲井の湯 45.7℃ 376L 自然湧出 所有者群馬県 旅館6 入浴施設1
・竜宮の湯 34.4℃ 78.1L 自然湧出 紅葉館の打たせ湯で使用
・東雲の湯 26.0℃ 14.6L 掘削自噴 未利用
(「鹿沢温泉国民保養温泉地計画書」(平成30年7月 環境省)の内容を参照し、現地確認により修正しました。)
<本館新築前>
小諸ICから地蔵峠へ、百体観音に迎えられ、いつのまにか標高1,732mの峠です。
峠ではソフトクリーム売っていて、一方ゲレンデでは11月でもう滑っていて少々驚き。
地蔵峠から道路の脇に雪が残る中、さらに百体観音を右に左に「湯道」を下ると、
最後の百番が鹿沢温泉、紅葉館があります。
鹿沢温泉は、大正七年の火災で22軒の家や宿・分校が焼失、焼失前には与謝野晶子が訪れています。
源泉「雲井の湯」湧出地は、湯小屋と反対側の駐車場にあり、源泉施設と水力発電の小屋があります。
宿の周りは、川沿い、道路沿い、山からと、源泉と湧水のパイプが色々走っています。
上州鹿沢温泉火国の説明板を画像に撮っていると足に感触、驚いて見おろすと
特に撮影のじゃまをするわけでもなく、謙虚な態度でワンちゃんがすり寄っていました。
頭なでるとしっぽぐるぐる〜。
人通りなく、ワンちゃん人恋しい様子で、その場を離れる自分をずっと見ていました。
入浴客の関心をひくため、鍋をくわえて出て来て遊んでもらおうとする犬が奥会津の松の湯にいましたが
(子どもの場合はワンちゃんの意向に反して、その形相はとってもこわいらしく逆効果)
ここのワンちゃんも鹿沢温泉の説明を読んで立ち止まる人を逃すまいと、
自分の存在をアピールして遊んでもらう方法を学習していました。
<浴室へ向かう廊下>
紅葉館、良い雰囲気ですね、黒光りの天井と廊下をギシギシ進み、水力発電の掲示。
駐車場の水力発電で、浴場と廊下の電気をまかなっているとのことです。
<浴室>
廊下から階段を下ります。水力発電の蛍光灯です。
浴槽は、自然湧出泉の源泉「雲井乃湯」をそのまま流し込んでおり、
打たせ湯は源泉「龍宮の湯」。両方源泉とも、かけ流し。
水は湧水で冷たいです。
「雲井の湯」は県有泉で、ここから新鹿沢温泉へ4kmを10分で供給していて(時速24km)、
泉温は1℃低下だけのようです。
日本温泉協会の温泉利用証は、オール5です。
事前イメージだと笹濁りでしたが、湯を張って時間が経っていないのか透明な湯に湯花が舞います。
金気臭が漂います。浴感つるつるです。
男湯と女湯を仕切る壁には火を囲んで2人が踊る神話的レリーフ。
窓を開けると、打たせ湯で使用されている源泉「龍宮の湯」の設備が見えます。
「禁煙」と「すべりやすいです」の札をひっくり返してみると(内湯から文字が見えたので)
おもしろい内容となっていました。
<本館新築後>
歩くとギシギシ音のする黒光りの廊下の本館は取り壊され、
山小屋風なモダンな本館が新築(平成25年7月)されました。
「雲井の湯」源泉使用の浴室は以前のままで、温泉情緒が残されています。
戸部旅館が閉館し、日帰り温泉施設として2015年リニューアルオープン。
スキー場を運営する五輪観光(株)が運営しています。
画像は日帰り温泉としてオープンする前の閉館していた時の戸部旅館(2014年夏撮影)
<「上州鹿澤温泉之図」>
「上州鹿澤温泉之図」大正3年6月5日発行 定価金5銭
日本温泉協会代理部三立社印行 上州鹿沢温泉取締所発行
「十九 戸部旅館」の記載があります。戸部旅館は古い宿でした。
学生宿泊合宿のため、日帰り入浴はやっていないとのこと多しで、未湯です。
昭和9年に建てられた建物で歴史を感じます。
廊下は黒光りし、廊下のつくりもドーム状で味のあるつくりです。
昭和12年秋に、与謝野晶子が宿泊しています。
内湯のみ。
加水なし、加温なし、循環ろ過なし、塩素消毒なし、貯湯タンクなし、毎日換水。
かけ流し浴槽だけの宿泊施設は「紅葉館」「鹿澤館」「ホテル真田屋」。
湯船は小ぶりで、湯の状態は、すこぶる良いです。
湯口側の壁の岩間には苔がびっしり生えています。
湯舟内は、赤茶の湯華が舞っています。
女将さんによると、引湯の源泉「雲井の湯」は、貯めることなく直接、湯船に投入しているので、
湯華が舞うんですとのことです。
○新鹿沢温泉鹿澤館の内覧会(2020/7/19)→解体
2019年台風19号により土石流入し、休業していました。
朝日新聞の報道、特に写真2枚目を見ると、かなり惨い状況でした。
https://www.asahi.com/articles/ASMBK3PZRMBKUHNB00D.html
新鹿沢温泉鹿澤館は、閉館することとなり、お別れ内覧会が2020年7月19日に行われました。
2020年7月28日から解体です。
内覧会には行けなかったので、案内チラシを嬬恋村HPから拝借しました。
貯湯タンクを設けず、源泉を直投入の湯づかいの良い温泉でした。
昭和9年に立てられた建物で、翌年の昭和10年に与謝野晶子が宿泊した宿で、
建物がなくなると思うと残念です。
新聞記事によると、こじんまりと再開しそうな様子です。
「上州鹿澤温泉之図」(大正3年)に、
「二十 土屋本宅」「廿一 同客室」の記載があります。古くからの宿です。
鹿の絵が愛嬌あります。
昔ながらの流し台があります、コインランドリーがあり、湯治場のような雰囲気もあります。
中庭には祠があり、いい味出しています。
<鹿の湯の由来>
「鹿の湯の由来」の掲示と油絵が掲げられています。
石器時代ですか? 時代背景が違うような。。。突っ込みたくなります。
「鹿の湯」の由来
「今から1300年ほどまえ、孝徳天皇の御代、猟師が山中で全身白色の鹿に出合い、
その後を追いかけると、突然姿が消えて、熱湯が湧き出した。
その湯煙に中に金色の御仏、信濃国分寺の本尊、薬師如来が現われて、
「多くの人の病苦を救い、長寿に効く、霊湯にしたい」とお告げになられたのが
はじまりと伝えられている。」
<内湯>
1階「鹿の湯」、2階「山の湯」で、山の湯に入湯。
内湯のみですが、採光が良いので、明るいです。
2つの浴槽が、湯中2カ所のパイプでつながっています。
源泉が流し込まれる浴槽の湯口には飲泉コップがあります。
浴槽底からも源泉投入。
源泉が投入されているほうの湯舟はかけ流し。
繋がっている浴槽は、循環加温です。
入浴料は500円で、地元の方が入浴に来られる頻度が高いです。
鹿の剥製がお出迎え。
<昔の屋号>
浴室前にある「上州鹿沢温泉之図」に、「六 宮崎本宅」「七
宮崎客室」「八 宮崎客室」が描かれています。
他に「上州鹿澤温泉」絵図があり、同じく宮崎本宅、宮崎客室、宮崎客室が描かれています。
窓の外に目をやると、「宮崎 鹿鳴」の文字が見えます。
新鹿沢温泉に下りて来る前は、「宮崎旅館」の屋号だったとのことです。
<「上州鹿澤温泉之図」>
「上州鹿澤温泉之図」大正3年6月5日発行 定価金5銭
日本温泉協会代理部三立社印行 上州鹿沢温泉取締所発行
<薬師如来像由来>
「新鹿沢温泉は孝徳天皇の白雉元年西暦650年頃発見されたといわれる。
もうもうと立ちこめる白煙の中に一体の薬師尊像が現れその下から熱湯が湧出していた。
下って、江戸時代中期、傷ついた鹿がこの温泉で傷を癒しているところを
一人の猟師が見つけ、霊場であることを知り、浴舎を設けて鹿沢と称し、浴室を迎えた。
薬師如来が深くかかわる当温泉の治療効果は多くの人のよく知るところである。
新鹿沢温泉 鹿鳴館」
<内湯>
源泉名「雲井の湯(県有泉)」
内湯は、掛け流し浴槽と、そこからオーバーフローしていく加温循環ろ過、オゾン・塩素消毒浴漕があります。
浴室内の床は、析出物でうっすら千枚田となっています。
掛け流し浴槽は、小さめで、湯の鮮度が良いです。
湯口には飲泉コップが置いてあります。
掛け流し浴槽を堪能しました。
<露天風呂>
露天風呂は、寝湯スペースが繋がった変則な湯船です。
加温循環ろ過、オゾン及び塩素消毒となっていますが、塩素臭は感じません。
内湯2つのうち小浴場と、露天風呂に「雲井の湯」を使用。
大浴場:真湯、循環ろ過、塩素
小浴場:加水・加温する場合あり、塩素
露天風呂:時季により加水・加温、塩素
内湯、露天とも吸い込み口なく、投湯量と同量がオーバーフロー。
湯づかいは想定外に悪くもないのですが、紅葉館に入ると同じ源泉だけに物足りなさを感じます。
循環ろ過していないはずなのに湯華舞っていないし、金気臭しないし。加水どれだけか不明だし。
「雪山賛歌」メロディーライン(2010年4月に敷設)のアンケートを呼びかけていたので答えてきました。