Discover 栃木 温泉文化遺産(温泉文化史)
 
 鬼怒川水力電気

  ○ 鬼怒川水力電気
  ○ 鬼怒水電創立記念碑
  ○ 下滝発電所(鬼怒川発電所)
  ○ くろがね橋
  ○ 竹之沢発電所
  ○ 小原沢不動尊/不動尊と隧道
  ○ 中岩発電所
  ○ 黒部ダム
  ○ 栗山発電所


鬼怒川水力電気

 東京の市営電車に送電することを目的に、鬼怒川水力電気(利光鶴松社長)による
 鬼怒川の水力開発計画が進められます。
 小田急電鉄の前身が、鬼怒川水力電気株式会社です。

 田山花袋の言葉を借りると、 
 「鬼怒川の水電工事は、この美しい峡谷をも非常に破壊したといふことであった。
  文明の気分は今はこの深山窮谷の中まで入っていった。」
  「山水小記ー鬼怒川の谷」(田山花袋 富田文陽堂 大正6)

鬼怒水電創立記念碑>

 仲附の旅籠、脇に「鬼怒水電創立記念碑」(明治44年11月建設)があります。

   


下滝発電所(現鬼怒川発電所)

 1912(大正元)年12月に竣工。黒部ダムから導水(ちょいと驚き)。
 1914(大正3)年に全設備が完成。東京尾久変電所まで125kmを送電。

  画像1 下瀧会社専用鐵橋(現:くろがね橋)
  画像2 下瀧発電所全景
  画像3 大正元年11月24日通水式の社長一行
      「鬼怒川水電写真帖」(藤田喜志能編 大正1)より抜粋

    

<現鬼怒川発電所>

 発電所の設備は、現在は地下にあり、目立たなくなっています。

     


くろがね橋

 くろがね橋は、明治43年(1910)に黒鉄橋として、鬼怒川水力電気株式会社が、
 下滝発電所建設資材運搬用として建設した鉄橋です。
 当時は、多くの見物客がめずらしい鉄橋に押し寄せました。
 1985(昭和60)年に改修されています。

     


竹之沢発電所
 
 画像は、現在の竹之沢発電所の水圧鉄管です。くろがね橋の下流、ふれあい橋の上流。
 1922(大正11)年12月、運転開始。
 浜子取水堰から約9.0kmの導水路を経て、竹之沢発電所で発電。
 2枚目以降は、当時の発電所と導水経路。
 (「日本の発電所東部日本篇」(日本動力協会編 昭12)より抜粋)

     

<竹之沢発電所構内の碑>

 竹之沢発電所の構内に碑が2つ見えます。
 ひとつは「追悼碑」と刻まれています。
 フェンスで囲まれ入れないので、カメラのズームインで確認。

     

小原沢不動尊>

 竹之沢発電所の隧道工事の際、不動尊が土砂の中から発見されました。
 小原沢に小原沢不動尊として祀られています。
 小原沢不動尊へは、民家の中を通るので、ちょっと気がひけます。
 竹之沢発電所の導水路が、小原沢を横切る時に隧道から姿を現しています。
  
    

      

     

<不動の滝>小原沢が不動の滝となって落ちていきます。

   
   


中岩発電所

 鬼怒川水力電気により大正13年7月に竣工。

   
 「日本の発電所東部日本篇」(日本動力協会編 昭12)より抜粋

<中岩ダム>

 志季大瀞の見晴らし処の下の展望場から、中岩ダムの全景をきれいに見ることができます。
  
     

 えいちゃんラーメン(閉店)の駐車場から下に降りる道があり、
 そこからダムが見えます。魚道も一部が見えます。

    


黒部ダム

 黒部ダムから、導水管を通って、鬼怒川温泉の鬼怒川発電所へ、延々と送水しています。

     

    

栗山発電所>

 鬼怒川水力電気は、栗山発電所を新設する計画を立てましたが、未着工のまま経過。
 日本発送電(株)が設立され、戦時中、国家総動員法により、昭和19(1944)年に完成。
 
 大正元年に黒部ダムができても、東京の市営電車を動かすための発電で、
 地元には電気がこなかったのですね。
 栗山発電所の完成で、村には電灯がともりました。

 土呂部からの水圧鉄管が見えます。
 土呂部川をせき止めた水と、川俣ダム川俣発電所からの発電放流水が
 地下水路トンネルを通ってやってくる水が土呂部ダムに貯えられ、
 そこから栗山発電所に導水されています。

    

土呂部ダム>
  
 ダムサイトへは通行止となっていて、近づけません。
 県道249号(黒部西川線)からのビューポイントは限られます。

  


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