那須湯本〜高湯山参道〜高湯山行道〜高湯〜平石
那須湯本の湯川の川岸に「出来穴(できあな)」という洞窟があります。
上は殺傷石に、下は喰初佛(くいぞうぶつ)に通じていると伝えられてます。
稲荷神社(民宿藤の屋跡)がその場所で、龍神様をお祀りしている「つつうけの宮」が出来穴の入口ですが、
ふさがっています。
穴の中には出湯があり、地蔵様が祀られていたといいます。
湯本口から高湯山へ登拝する行者は、白装束で出来穴に籠もり7日7夜の斎戒沐浴を行いました。
「鹿の湯」の由来は言及されても「行人の湯」(行人の湯A・B混合泉)についての言及は
ほとんどみませんが高湯山信仰に由来します。
高尾股温泉も、湯本口の高湯山信仰の行人が身を清める「お行の湯」として知られていました。
殺生石から登り温泉神社に出てくる坂道に、碑群と天保7年建立の百人講中の「高湯山碑」があります。
高台に「高湯山大権現碑」があります。
見立神社の前に「高湯山神社灯籠」があります。
茶臼岳山頂に那須温泉神社の奥宮として那須岳神社の祠が祀られていますが、
明治6年(1873)に高湯山神社から那須岳神社に改められています。
「高湯山神社灯籠」には、明治20年旧8月8日と刻されています。
那須温泉の発見者、狩野三郎行広が祭神として祀られています。
高湯山の参道が温泉神社の参道と平行してあります。
見立神社の左手が温泉神社の参道で右手が高湯山の参道。
右手を進むと石柱に「高湯山参道」の文字が刻まれています。
また、「那須岳神社参道」の文字が刻まれた石柱もあります。
○神馬
高湯山参道脇に、那須温泉神社の神馬があります。
この神馬は、湯本の有志が大正の初めに奉納したもので、
同じ石で造られた聖徳太子像が小松屋のところにあります。
震災でバラバラになっていたのですが、修復されて元通りの姿になっています。
高湯山参道の横の温泉神社の参道に与一鳥居があります。
戦前の温泉本には「翁石」と紹介されています。
横から見たら、翁が座っているように見えるとのことですが、実感わかないですけど。
現在は「芭蕉の句碑」の説明板。
那須温泉神社の本殿左手に4基の灯籠と高湯山行人道の入り口。
階段上がると左手に「高湯山行道」標があります。
那須温泉神社から高雄温泉を経て平石に向かいます。
湯本「行人の湯」、高雄温泉「御行の湯」は行人の垢離を行う場でした。
那須温泉神社からの高湯山行人道は、那須温泉神社からの道筋は若干残るのみで、
高雄温泉への舗装路を進みます。
別荘地内の舗装路を進むと、西山浄水場脇に「牛ヶ首4.4KM」の道標があります。
高雄口登山道です。
階段を上ると、高雄温泉手前の「私有地のため立ち入り禁止」と掲示のゲートからの舗装路に出会います。
右下から左上に横切ると、階段の途中右に「牛ヶ首4.4KM 殺生石1.2KM」の道標があります。
(表示の距離は減っていない〜!)。
おおるり山荘の露天風呂、眼前ナイスビュー。中性硫黄泉。
オーバーフローが「高雄湯乃川」となります。
高雄温泉の明治の案内図を見ると、下から来る道は、湯本からの道と思われます(1枚目の左の○)
高雄温泉の上から出ている道は、どこへ行く道?弁天温泉へ向かう道と思われます。
途中で、弁天温泉方面と、高湯山方面に分かれたのでしょう。
現在の登山道も、そのようになっています。
樹林を進むと左手に水道施設、右手に「牛ヶ首4.2KM、殺生石1.4KM」の道標。
次の水道施設は右手にあらわれます。
「牛ヶ首4.0KM」の道標を過ぎると、
左手に巨石(平石)に鎮座する高湯山碑が見えます。
嘉永2年(1849)建立の碑は中央に高湯山、左に毘沙門、右に月山と刻まれています。
【ヨシヤジ】
平石からヨシヤジに向かいます。
3つ目の水道施設の脇を湯川が流れています。木道で渡ります。
登山道右側に「牛ヶ首3.4KM」の道標。
この湯川の上流がヨシヤジです。
やがてスキー場からの登山道に合流します。
「牛ヶ首3.2KM スキー場0.9KM 殺生石2.4KM」の道標。
(高雄口では4.4KM表示だったので、計算すると1.2KM)
スキー場方面にちょっと行くと、さきほど渡った湯川の源流がある湿地帯ヨシヤジ(芦谷地)に出ます。
【晴清水】の掲示が2カ所あります。
湯川の源流からは、こんこんと水が湧き出ています。
スキー場方面からの登山道のほかに、
ボルケーノハイウェイの途中、中曽根に至る道もありました。
【行人道はここまで】
「牛ヶ首3.2KM」の道標から飯盛温泉跡方面に向かいます。
道が2つあり、左手は現在の牛ヶ首方面への登山道です。
右の道はロープが張ってありました。行人道はここで諦めます。
「牛ヶ首3.0KM」の道標。えぐれています。熊の爪痕?
沢を渡ります。
「牛ヶ首2.0KM」の道標
【噴気帯(膳棚)】
突然硫黄臭が漂ってくると崖地にでます。
ガイド看板「噴気帯(膳棚)」に行人道や膳棚の説明があります。
登山道から崖下の噴気帯にいわゆる膳棚の湯が見えますが、降りられる状況とは思えません。
木の茂みから横伝いに降りていき、石垣の切れ目からガレ場へ。
帰りは石垣が低いところを登りました。
先人により作られた湯船があります、ぬるいです。
硫黄泉が湧いていますが、上の沢から水を引くパイプがあったりして、
噴気泉のような感じかなと思いました。
ガイド看板「飯盛(いいもり)温泉跡」に説明があります。
「飯盛温泉は古くから「膳棚ノ湯」として知られていました。
正確な記録が残っているのは大正時代からで、1920(大正9)年に、
地元の有志により旅館の新築と歩道整備が行われ、夏期のみの営業が開始されました。
しかし、1940(昭和15)年、雪の重みにより建物が倒壊したのを最後に
復興されないまま現在に至っています。
泉質は無色透明塩類泉で、リューマチ、神経衰弱、婦人病、皮膚病等に効能があったとされ、
石垣や湯船の跡から往時をしのぶことが出来ます。
なお、1926(大正15)年8月に、当時皇太子であった昭和天皇がこの地を行啓され、
その折「飯盛虻(アブ)」を発見されたことが記録に残されています。」
石垣が、かつての宿を偲ばせます。
岩の壁面から僅かなからも無数のぬるい湯が出ています。
湯だまりは、赤サビ色のどろどろの泥濘です。
手湯だけしました。
<飯盛温泉跡へ向かうには>
一つは那須ファミリースキー場から、
または高雄温泉から、2ルートが合流して飯盛温泉跡へ向かうルートがあります。
この他、国土地理院地図には、中曽根からヨシヤジでスキー場からの登山道に合流する
ルートも記されています。
現地の合流地点には道標はなく、一般的ルートではないようです。
もう一つは那須ロープウェイを使って牛ヶ首へ行き、飯盛温泉跡へ下っていくルートがあります。
今回は那須湯本から高雄温泉、平石の高湯山碑を経てのルートを行きました。
マイナーなルートで、往き帰りとも、誰とも会いませんでした。
出会いたくなかった熊にも出会いませんでした。