岳温泉は、『日本三代実録』の貞観5(863)年10月20日の条に「小結温泉に従五位下を授ける」、
また『日本紀略』の寛平9(897)年9月7日の条に「小陽日温泉に正五位下を授ける」と記されており、
この温泉が「岳温泉」 を指しており、平安時代、既に京の都においてその存在が知られていました。
名称は「湯日」「十文字」「深堀」「岳」と変わってきました。
昭和30(1955)年に国民保養温泉地に指定されています。
・湯日(元岳)温泉 〜文政7(1824)年
山津波で崩壊
・十文字岳温泉 〜文政8(1825)年〜慶応4(1868)年
戊辰戦争で消失
・深堀温泉 明治3(1870)年〜明治36(1903)年
失火で全焼
・岳温泉 明治39(1906)年〜
(岳温泉観光協会「岳温泉の歴史・伝説」及び環境省「岳温泉国民保養温泉地計画」を参照しました。)
昭和57(1982)年4月28日「開国」
平成18(2006)年8月31日「日本国へ統合」
画像は、旧ニコニコ共和国の国会議事堂(温泉協会事務所)。
日本時間より1時間遅い「ニコニコ標準時」を採用していたので、
時計が2つありました(現在は、時計は2つとも撤去)。
※2009年5月12日破産。画像は破産直後の安達屋。
日帰り温泉用の入口から入ると、すぐに日帰り受付。
内湯はあつめの浴槽とぬるめの浴槽があり、ぬるめには寝湯スペースがあります。
両浴槽でさほどの温度差は感じませんでした。
露天風呂がぬるめでのんびりできました。
ヒマラヤ大通りを上がって、さらにその先の高台にあるので、景観が良いです。
※2020年春、旅籠ふじ乃となりました。
運営会社は、株式会社きらりリゾートなので、ビューホテルは手放したのですね。
内湯は「加水」、露天は「加水、加温、循環ろ過」
貸切状態で、のんびり入湯。
夜は電球が怪しく光ります。
浴室は別棟で階段を降りて行きます。
浴室のある別棟は真新しいです。
源泉名「元湯」酸性泉で、レモンのようにすっぱい湯。
※2020年4月24日、破産閉館しました。
こおりやま温泉本の無料入浴を利用。入浴料1000円が無料ですが受付は丁寧な対応で恐縮です。
温泉棟は別棟にあり、本館の無機質な建物と違って、いい味出しています。
内湯(温泉)、露天風呂(温泉)、薬草露天風呂(否温泉)があります。
影響を与える事項「清掃時加水、加温、循環ろ過、pH2.5のため消毒の必要なし」。
静寂なほどにスカスカ。贅沢な時を過ごしました。
※2023年12月に閉館しました。
(財)葉たばこ財団が運営する施設ですが日帰り入浴大歓迎の掲示あり、積極的に受け入れています。
入浴時間13:00-19:00、入浴料500円。内湯のみ。
加水はあるものの、加温なし、循環ろ過なし、塩素なし。
投湯量がさほどでもないので、熱くなくのんびり入れます。
2005年8月にオープン。2012年にリニューアルで屋根が付いています。
岳の湯の右手の桜坂を降りていくと、右手に、手湯「手だけの湯」、足湯「足だけの湯」があります。
手だけの湯は、湯量どかどかと小川に捨てられています。
こんな手湯を目にするのは初めてだったので、新鮮でした。
冬でも湯が張られ利用可でした。手だけの湯は豪快な放流です。
あだたら高原富士急ホテルが震災後休館し、その後取り壊しとなりました。
跡地に2015年12月17日、日帰り温泉施設としてあだたら山奥岳の湯がオープンしました。
<あだたら高原富士急ホテル> 取壊
安達太良山の中腹、標高950mに位置する宿でした。
源泉地に近いせいか、湯のインパクトは強く感じました。
硫黄臭が後から効いてきました。
岳温泉街のヒマラヤ大通りを登りきったところにあります。
アットホームというより、立派で大きな公共施設です。
入浴料400円(現在は500円)。
源泉名「新おおたま温泉」。ぬるすべです。常時源泉投入の循環仕様。
影響を与える事項「加温、循環ろ過、塩素」
地元民で混んでいます。
端のほうは洗い場と浴槽が近いので、洗い場のシャワー湯が飛んできます。
湯舟の縁からあふれていますが、人が何度も出入りしているのに、新たに人が入るたびに「ざ〜」と大量に溢れます。
湯の復元がやたら早いので、湯量感知の源泉投入かも。
混んでいたほうが源泉投入量が多くなるのでしょうね、塩素臭はほとんど感じませんでした。
改修中→2019年4月28日リニューアルオープン。
キリンが車に首を突っ込んでくるのは圧巻でした。
キリンの舌は、金ヤスリのようです。