会津中街道は、1683年(天和3年)の日光大地震により下野街道(会津西街道)が通行不能となり、
1695年(元禄8年)に会津藩三代藩主松平正容によって整備されました。
白湯山参りの修験の道の上に街道がつくられ、信仰の軌跡を見ることができます。
会津中街道は、阿賀川(大川)右岸(東岸)を行く田代通りと、
左岸(西岸)を行く小出通りがありました。
田代通りは、阿久戸で分かれ、川沿いの、凝灰岩の岩が侵食されてできた窪みの塔のへつりを通る道と、
迂回して行く馬道とがあります。
〇塔のへつり
塔のへつりから下流に見える「塔のへつり橋」へは、視認すると明瞭で、通行不能です。
反対方向も、通行止となっています。
〇阿久土の白湯山碑 下郷町大字白岩字阿久土平
迂回して「塔のへつり橋」へ向かいます。橋の脇を下りていく道があります。
下りていくと、祠と白湯山があります。それと天下人の文字と天狗の絵。
○白鳥神社の湯殿山供養 下郷町大字白岩字向平707
馬道に合流してしばらく進むと、左手に白鳥神社があります。
「湯殿山供養」(天明六年)があります。
いちょうの落ち葉で、辺り一面真っ黄色。
〇夫婦岩(めおといわ)
湯野上温泉に至ると、大きな岩が2本、塔のように立ち並んでいる夫婦岩があります。
左が男岩、右が女岩。
○牧野の白湯山碑 下郷町大字弥五島字牧野居村
国道121号線に平行する村道沿に、「湯殿山」(延享3年)、「白湯山」(享和3年)があります。
立派な白湯山碑です。
「四十八夜」塔は、初めて見ました。
もともとは川原に祀られていましたが、大川ダム建設により、現在の場所に移転してきました。
「温泉神社」「山神社」があります。
<白湯山塔>
「白湯山塔」(文化元年)「湯殿山供養塔」「東堂山」「飯豊山」
と並んでいます。
<源泉移転記念碑>
川原にあった源泉が今の源泉に変わった記念碑があります。
「記念碑 衆議院議員 渡部恒三書」
裏面には、1号井?8号泉の源泉協力者のお名前が記銘されています。
<地蔵堂>
境内前面に地蔵堂と古碑群があります。
<江川村役場跡地記念碑>
足湯の場所は、江川村役場の跡地で、記念碑があります。
国道121号沿に「国指定天然記念物中山風穴公園入口」の木柱があります。
坂道を登っていくと、右側に冷風体感施設の案内板があります。
<冷風体感施設>
空洞から冷気が出てくるところに温度計が置いてあります。
<貯蔵庫跡>
体感施設の奥に、貯蔵庫跡があります。
風穴の冷気を利用した天然冷蔵庫です。
弥五島の白湯山碑を捜してみましたが、見つけられませんでした。
○弥五島中ノ内の湯殿山碑 下郷町大字弥五島字中ノ内
古峯神社の石柱(昭和53年12月吉日 西ノ浦講中)と碑がいつくかあり、湯殿山碑があります。
横の碑は摩滅して読めません。もしかして白湯山碑かな?
○春日神社 下郷町大字弥五島字中ノ内358
灯篭があり、行ってみると春日神社は山の中腹にあります。
途中に東堂山碑がありました。
○熊野神社 下郷町大字弥五島字和田
大きな石燈籠があります。それ以外の古碑はなし。
〇下郷最古の学び舎 下郷町弥五島字寺岡662
「1872(明治5年)8月2日 弥五島小学校創設」の廃校碑。
○大内宿の白湯山碑 下郷町大字大内
「白湯山」「湯殿山」があります。