※2023年11月1日から共同住宅新築予定です。その前に(いつですかね?)閉館のようです。
旧中島村の地名から中島湯と命名しているかと思います。
早朝5時開店の24時までの通し営業です。
併設のコインランドリーも朝5時から営業です。
下足箱は松竹鍵。
券売機でチケットを購入し、フロントで下足札とロッカーの鍵を引き換えます。
<源泉名>
源泉名「中島温泉」ナトリウム-塩化物冷鉱泉(低張性弱アルカリ性冷鉱泉)
フロント上に掲示の分析書は昭和63年ですが、別表は令和元年の真新しいもの。
令和元年の分析書は別表しか見あたらず残念。
「加水、加温、ヘアキャッチャー使用、塩素」
<浴室>
内湯のほか、半露天風呂(人工北投石)があります。
内湯の天然温泉浴槽は、広めでぬるめで心地よい。
浴槽の外から見ると真っ黒ですが、湯舟内、淡褐色で、手を湯底に沈めるとうっすら手の甲が見えます。
腐植質8.0mgなのでもうちょっと黒いはずでしょうが、加水の影響でしょう。
桶はケロリン。
半露天風呂(人工北投石)は、塩素臭がします。
中島湯の近く、中島村の鎮守として祀られてきた八幡神社へ、正岡子規の句碑を見に行く。
八幡神社は稲毛神社の兼務社となっています。
<庚申堂>
<正岡子規句碑>
「多摩川を汽車で通るや梨の花」
明治25(1892)年春、大師に詣でた時に詠んだ句です。
正岡子規没後百年を記念して建てられています(2002年)。
他にも句を残しています。
川崎や 畠は梨の かえり花
行く秋に 梨並べたる 在所かな
川崎や 梨を食い居る 旅の人
川崎や 小店々々の 梨の山
すずなりの 小梨に村の 曇り空
麦荒れて 梨の花咲く 畠哉
落第の 人を送るや 梨の花
灯の映る 閨の小窓や 梨の花
駅古りて 夜長の鶏の まばらなり
「三十六花撰 東都六郷梨子」
六郷は梨の名所でした。
<正岡子規没後100年記念句碑>
「六郷の 橋まで来たり 春の風」
<河崎山王社>
江戸名所図会に河崎山王社が描かれています。
現在の稲毛神社の明治維新前の神社名です。
参道、神木銀杏と、現在と同じ配置です。
<芭蕉句碑>
「秋十とせ 却って江戸を さす故郷 芭蕉
芭蕉没後三百年 圓鍔 勝三書」
<和嶋弁財天と曲水連歌碑>
「桜かげうつる和嶋の水の面は 音なき花の浪ぞよりくる
弘化4(1848)年」
「おのづから花の光し妙なれば 朧月夜もおもしろきかな
岩田専永 年代不詳
<御神水吹上井戸石枠>
「六郷蒸氣車鉄道之圖」(昇齋一景 明治4(1871)年)
蒸気鉄道と渡し船の時代です。鉄橋を自転車で渡る人々も見えます。畑では大根を収穫しています。
14代将軍徳川家茂が京都から帰還して、六郷川(多摩川)の「六郷の渡し」を渡る光景が描かれています。
供奉は3000人に及び、これだけの人数が渡っている光景は圧巻です。
船に乗っている「御大将」と描かれた人物が将軍徳川家茂です。
船に随伴する2隻の船には、多くの槍が立てられています。
弓隊が陸を離れたところで、多くの鉄砲隊が船に乗り込もうとしています。
鉄砲隊のうしろには、これまた多くの弓隊が見えます。
将軍の白馬も行列に続いています。
「江戸名所図会 六郷渡場」
手前が六郷で、向こう岸が川崎です。