ほっと湯WEB【神奈川】
 

 湯河原温泉



○与謝野晶子と湯河原温泉

 「晶子鑑賞」(平野萬里 三省堂 1949(昭和24)年7月25日)から、湯河原での歌を抜粋します。
 解説を読むと、背景とかよくわかります。
 

 「蜜柑の木門かどをおほへる小菴を悲しむ家に友与へんや」

  相州吉浜の真珠荘は作者の最も親しい友人の一人有賀精君の本拠で、伊豆の吉田の抛書山荘と共に何囘となく行かれ、
  ここでも沢山の歌がよまれてゐる。今そこには大島を望んで先生夫妻の歌碑が立つてゐる。
  その蜜柑山に海を見る貸別荘が数棟建つてゐる。その一つを悲しむ為の家として私に貸しませんかと戯れた歌である。
  悲しむ家といふ表現に注意されたい。こんな一つの造句でも凡手のよく造り得る所ではない。
 

 「集りて鳴く蝉の声沸騰す草うらがれん初めなれども」

  これも吉浜での作。油蝉の大集団であらうが、蝉声沸騰すとは抒し得て余蘊がない。
  しかしこの盛な蝉の声も実は草枯れる秋の季節の訪れを立証する外の何物でもないといふので、
  一寸無常観を見せた歌である。



○展示会「与謝野晶子と湯河原」 ー山荘の桜こぼれて道白しー

 湯河原の海、桜、蜜柑そして温泉を愛した晶子。
 晶子が逗留した湯河原・真珠荘。その真珠荘を営んだ有賀家による寄贈資料と、
 県立神奈川近代文学館所蔵パネルを展示し、晶子と湯河原の深い関わりをたどります。

 会期 平成31年3月8日(金)〜17日(日) 10:00〜17:00
 会場 図書館3階会議室 入場無料
 主催 湯河原町立図書館
 共催 県立神奈川近代文学館

 展示会に行きました。貴重な資料が展示され、真珠荘のことがよくわかりました。

    
 

 <真珠荘>

  与謝野晶子は、昭和7年(1932)から平成15年(1940)まで、真珠荘に15回も訪れています。

       

      
 

  「与謝野晶子と吉浜・湯河原温泉」(湯河原町史編集委員 加藤雅喜)
  いただいた資料と、展示から、真珠荘部分を抜粋してみました。
  ・昭和 (1932)
    1月2日真珠庵に1泊。3日から5日高杉別館に2泊。
  ・昭和8(1933)
    5月15日有賀氏経営の熱海和光園に1泊。
    5月16日真珠荘に立ち寄る。
  ・昭和9(1934)
    4月2日熱海和光園1泊。
    4月3日真珠荘の桜を愛でる。
    11月24日真珠荘で蜜柑を愛でる。
  ・昭和10(1935)
    8月末真珠荘で1泊。箱根へ行き真珠荘に戻りさらに1泊。
  ・昭和11(1936)
    1月5日真珠荘で1泊。
    4月16日真珠荘の桜を見る。
  ・昭和12(1937)
    8月10日真珠荘で2泊。
    12月真珠荘に1泊。
  ・昭和13(1938)
    1月1日真珠荘へ。
    4月下旬桜の花見で訪問。
    6月10日真珠荘へ、有賀氏の勧めで中西旅館にて盲腸手術後の湯治(6月14日まで)。
    7月22日?28日中西旅館にて温泉療養。
  ・昭和14(1939)
    4月9日真珠荘1泊、大島桜を愛でる。
    12月2日真珠荘で1泊、桜紅葉と蜜柑を愛でる。
    12月3日伊豆山相模屋旅館へ。
  ・昭和15(1940)
    4月5日真珠荘で1泊。

       

      
 

 <與謝野寛・晶子連理歌碑>  湯河原町吉浜1871-1

  有賀精氏が、真珠荘の庭に、昭和18年3月26日建立。
  湯河原町の史蹟に指定されていますが、いただいた資料には今はその歌碑は見ることはできませんとあります。
  湯河原町のホームページに碑の所在地が記されていましたが見つけられませんでした。
  展示書籍によると、今は碑が残るのみで、真珠荘も桜の木も存在しないとのことです。
  現地で実物を見ることができなくても、碑の写真と刻まれた歌の拓を見て満足です。

  「吉浜の真珠の荘の山ざくら嶋にかさなり海にのるかな 晶子」
  「光つつ沖をいくなりいかばかりたのしき夢を載する白帆ぞ 寛」

        

     
 

 <色紙、手紙等>

       

      
 

湘碧山房  湯河原町吉浜1895-104

 谷崎潤一郎は、湯河原町吉浜の有賀精の宅地の一画を購入し、
 湘碧山房を建て移り住みました(昭和39(1964)年)。

 谷崎潤一郎関係の展示はありませんが、湘碧山房も見学。

 展示の地図には、
 湘竹居(谷崎潤一郎の松子婦人が住んでいた所)、あるが(廃業)、真珠荘跡、湘碧山房が記されていますが、
 この地図は正確ではないです。

    

   
 

〇高すぎ(旧中西旅館) 湯河原町宮上535 0465-62-3171

 与謝野晶子が有賀精氏の勧めで、2度の湯治をした中西旅館。
 現在は、素泊まり専門の「高すぎ」となっています。

 「高きより雨次ぎ次ぎに峰を消し 一重となりぬ湯河原の山」
 「悪僧の七つ道具の一つかと 橋こえくるを見れバ三味線」

  
 

○天野屋

 夏目漱石は天野屋に宿をとっています。
 未完の遺作「明暗」の後半は、湯河原温泉が舞台となっています。
 本館は、町立湯河原美術館(1998-)になっています。
 新館は、2005年閉館→エクシブ湯河原離宮(2017/3)



○湯河原温泉

 湯河原温泉は、万葉集にも詠まれた古湯です。
 現在の温泉場が古くからの湯河原温泉の中心地です。

 温泉旅館に温泉櫓が目立つ温泉地ですが、温泉街の藤木川上流両岸に温泉が湧いている湯煙を視認できます。
 河原に温泉が湧くくから「湯河原」と呼ばれたように、特に藤木川右岸に多く湯煙が認められます。

 自家源泉以外は、「湯河原町営温泉集中管理給湯システム」により湯河原町が集中管理しています。
 温泉管理施設には、6基の貯湯槽を管理している4ヵ所の貯湯・配湯施設と、
 1ヵ所の奥湯河原中継ポンプ場があります。
 この貯湯・配湯施設をサービランスと呼んでいます。
 (以上、湯河原町温泉施設紹介より)

 ◇画像 相州湯河原温泉真景(明治36年) 源泉地
     奥湯河原中継ポンプ場 権現山サービランスセンター(貯湯槽3基)
     万葉の湯の巨大ローリー車 2019年1月オープンの日帰り施設

    

    

   
 

 <亀屋旅館/温泉スタンド>  湯河原町宮上517

  亀屋旅館の駐車場に温泉スタンドがあります。湯量がかなり豊富。
  ※亀屋旅館は廃業し、2022年初夏「夢十夜」開業予定。

     

 
 <寿荘源泉櫓> (寿荘 湯河原町宮上496)
   
  亀屋旅館の近くには、寿荘源泉の櫓もあります。寿荘は閉館しています。

    



○ままねの湯  湯河原町宮上616 0465-62-2206 8:00-20:00 300円 10,20,30休、不定休あり

 <相州湯河原温泉真景>

  「相州湯河原温泉真景」(明治36年)を見ると、伊豆屋と上野屋の間の奥に、ままねの湯が描かれています。
  昔も今も同じなのですね。ここに描かれている薬師湯はもはやなく、駐車場となっています。

      
 

 <湯治>

  2017年1月末で日帰り入浴は終了しましたが、現在は、湯治目的の方のために再開されています。
  「湯治です」で受けていただけました。
  2018年大晦日に、年内総ざらいの湯治をしてきました。
  湯治客の他、地元の方々の共同浴場的使われ方もしていました。
 

 <路地の奥まったところ>

  通りの左側にあるままねの湯の駐車場も侘びています。
  道が突きあたる上野屋(ままねの湯に源泉を分けています)の手前、中屋旅館と駐車場の間の路地を入ります。
  中屋旅館入口のところからの細い路地を右に曲がります。

  行き止まりがままねの湯。外観は地上3階建てのコンクリートで、意外に近代的な建物です。
  湯治客限定の掲示があります。

    

     

     

     

     
 

<レトロな看板>

 「寿味噌の味噌樽の上フタ」、「旭化成化学調味料の旭味」、「最上醤油 天上 栃木県久下田 竹村本店」、「朝日乾電池」
 看板から推定して、戦前のものでしょうか、戦後の可能性もあり。
 昭和レトロの袋小路にタイムスリップです。
 なんでこんなにレトロ看板があるのかな。湯治場の雰囲気が出ています。
 なお、天上(てんじょう)醤油の竹村本店は現在は存在しません。久下田町は、昭和29年に二宮町の発足で消滅。現在は真岡市の一部です。
 
      
 

<弘法大師御導湯>

 日帰り入浴入り口には、「弘法大師御導湯」の由来板が掲げられています。

     
 

<レトロなタイル階段>

 レトロなタイル階段を降りて、半地下へ。
 ペットボトルでの持ち帰りは有料。

 分析書の掲示は、源泉名「   」記載なし。台帳番号 湯河原第22号
 ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
 源泉温度が81.3℃の熱い湯です。

    

    

     
 

<浴槽が主人公>

 浴槽は浴室の真ん中にあります。
 真ん中にあるのは関東では珍しく、鹿児島の温泉銭湯も真ん中にあり、お湯が主人公との印象を受けます。

 完全かけ流しです。湯口に赤いバルブがあり、湯量はこちらで調整。
 湯口のカエルが、熱い源泉口にあって、似つかわしくないです。

 浴槽に水、タオルを入れないでくださいとの掲示があります。(※水を入れるのは禁止です)

 さて、湯舟の縁で休んでいる先客の体は真っ赤です。
 恐れをなしつつ、初湯、熱いなぁ、すぐ出ます。
 しかし、出たり入ったり繰り返すと、体が慣れてきて熱さはさほど感じなくなってきます。
 
 那須の鹿の湯のように湯番長がいるとやっかいなのですが、ここでは自分のペースで出たり入ったりできます。
 これまでは東京都台東区の六龍鉱泉が体が慣れない熱さでしたが、不思議なもので、ここは慣れます。
 
 後から来た方は「熱っ!」と唸り、平然と湯につかる私を見ていました。

 湯口の湯は激熱で、飲泉しようと手にすくおうとするとやけどしそうで飲めません。
 カランからは温泉が出るので、こちらから手にすくおうとするとこちらも熱っち熱っち。
 手ですくうには熱すぎるので、コップ持って行ってさまして飲むのが良いと思いました。
 仕方ないので、洗面器でさました源泉をすくって味見しました。
 ここまでして飲泉したのははじめての経験でした。
 
     

     

    



○光風荘  湯河原町宮上562-3

 「2.26事件」の東京以外で唯一の現場が、湯河原の「光風荘」です。
 資料館として公開されています。

  



○湯河原駅前大屋根広場手湯  湯河原駅前大屋根広場

 JR湯河原駅前広場に、2017年10月1日に手湯が完成。
 ヒノキの手湯と、御影石の手湯があります。

    

    


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