○ 秋川渓谷 瀬音の湯
○ 網代温泉廃業跡
○ 網代弁天山公園
あきる野市が、温泉施設本体の建設費約10億600万円。吊り橋や散策路、あきる野ふるさと工房、駐車場などの
整備を含めた総事業費は24億9000万円で建設した温泉入浴施設です。2007年4月15日オープン。
Google のクチコミが(2,316)もあり、都内でも人気の施設です。
新四季創造株式会社が指定管理者として運営を行っており、経常利益を出しています。
<足湯>
屋根付きの大きな足湯です。
露天風呂のような足湯で、入浴禁止の注意書があります。
<ガスセパレーター>
付随ガス(メタンを含む微細な気泡)の湧出があるため、ガスセパレーターが設置されています。
オープン当初はアワつきがあったようですが、今回アワつきはありませんでした。
<映画外五日市物語ロケ地>
<物産販売所 朝霧>
入浴後、寿美屋(あきる野市五日市64)のゆでそば(340円)を購入。
食感は、見た目通り、もちっとしていて腰がありません、作り置きですから仕方ないですね。
寿美屋は、創業150年の製麺所で、炭焼きがスタートのため屋号は寿美屋。
店舗では直営の蕎麦処「寿庵忠左衛門」を併設しています。
<本館>
本館は「瀬音の湯」と奥に「和食だいにんぐ川霧」、「カフェせせらぎ」。
カフェの脇に和室の無料休憩所があります。
カフェの外に寝転びチェアがおいてある「森のテラス」があります。
これらの施設の利用の温泉施設再入館の可否は未確認です。
<受付>
靴箱に靴を入れ(100円返却式)、販売機で入浴券を買います。
入浴料900円(3時間、延長料金1時間200円)、100円割引を使用。
割引先ごとにボタンがあり、どれだか探すのに手間取りました。
靴箱の鍵とチケットを渡し、利用時間が記された半券と脱衣所のロッカーの鍵を受け取ります。
<浴室>
「瀬音の湯」は左手が男湯と貸切風呂、右手が女湯。
<脱衣所>
ここから先は撮影禁止の掲示があり、画像なしです。
浴室は天井が高く広々としているのに対し、脱衣所は狭いです。
ロッカーを指定している割には、利用者が密接していたので待ちました。
<分析書>(平成25年10月11日発行)
分析書は足湯と脱衣所にありました(画像は足湯の掲示分)。
源泉名「十里木・長岳温泉」アルカリ性単純硫黄温泉(低張性アルカリ性低温泉)
湧泉地:あきる野市乙津557
湧出量:155L 泉温:25.8℃ pH10.1 成分総計417.5mg
炭酸水素イオンが23.2mgですが、pH10.1の思いのほかにぬるすべのアル単です。
<成分に影響を与える項目>
○入浴に適した温度を保つため、加温しております。
○温泉資源の保護と衛生管理のため、露天風呂は循環ろ過装置を使用しております。
○衛生管理のため、次亜塩素酸ナトリウムで消毒しております。
○加水はしておりません。
<内湯>
浅くなっている部分がありますが、内湯は浴槽がひとつです。
浴槽中央にある2つの湯口から加温源泉投入です。
窓側の排湯溝へオーバーフローしていきます。
露天風呂より湯の状態が明らかに良く、硫黄臭のぬするべ〜です。
炭酸泉やジャグジーはなくシンプルですが、湯つかいの良さと浴感で人を惹きつけているかと思います。
<露天>
眼下に秋川の渓流が流れています。
明確な塩素臭があります。
サウナと水風呂は露天にあります。
<パンフレット等>
<お風呂情報誌「ゆ〜ゆ」>
網代弁天山の南麓にある、廃業して久しいらしい網代温泉の現況を見てきました。
以前はGoogle mapでの記載がありましたが今は記載が消えました。
該当場所には山の中の一軒家が今でも記載されています。
江戸時代から玉之湯として知られていました。
北村透谷は、「三日幻境」で川口村(八王子市川口地区)での生活を著しており、
1892(明治25)年7月28日、秋山国三郎の孫たちと、網代温泉を訪れ、夕方に川口村森下に戻ります。
以下該当部分です。引用元あおぞら文庫。
「三日幻境 北村透谷
少娘と其が兄なる少年とを携へて、網代と呼べる仙境に蹈入れり。網代は山間の一温泉塲なり、むかし蒼海と手を携へて爰に遊びし事あり、巌に滴る涓水に鉱気ありければ、これを浴室にうつし、薪火をもて暖めつゝ、近郷近里の老若男女、春冬の閑時候に来り遊ぶの便に供せり。一条の山径草深くして、昨夕の露なほ葉上にのこり、かゝぐる裳も湿れがちに、峡々を越えて行けば、昔遊の跡歴々として尋ぬべし。老鶯に送迎せられ、渓水に耳奪はれ、やがて砧の音と欺かれて、とある一軒の後ろに出づれば、仙界の老田爺が棒打とか呼べることをなすにてありけり。こゝは網代の村端にて、これより渓澗に沿ひ山一つ登れば、昔し遊びし浴亭、森粛たる叢竹の間にあらはれぬ。この行甚だ楽しからず、蒼海約して未だ来らず、老侠客の面未だ見ず、加に魚なく肉なく、徒らに浴室内に老女の喧囂を聞くのみ。肱を曲げて一睡を貪ぼると思ふ間まに、夕陽已に西山に傾むきたれば、晩蝉の声に別れてこの桃源を出で、元の山路に拠らで他の草径をたどり、我幻境にかへりけり、この時弦月漸く明らかに、妙想胸に躍り、歩々天外に入るかと覚えたり。」
「北村透谷肖像」(「近代日本人の肖像」国立国会図書館)
明治元年11月16日〜明治27年5月16日(1868年12月29日〜1894年5月16日)
<現況>
五日市トンネルの手前から東京五日市カントリー倶楽部へ向かう道の途中、
弁天山方面に向かう小道があります。電柱が建っているのがこの先にある網代温泉の名残でもあります。
木々の切り株が目立ちます。
宿は休業中というより草木に埋もれて廃墟状態でした。
昔から湧いている鉱泉なので、祠や石碑がありそうなもんですが、わかりませんでした。
弁天山への登山道一帯が網代弁天山公園です。
昔は賑わった観光地で、網代弁天山リフトが設けられていました(撤去されています)。
昭和39年4月20日の福生新聞(福生図書館所有)によると、
五日市町網代地区で共有財産の山林を売って、建設費用をつくり、弁天山に全長320mのリフトを
夏までに完成させるとの記事が掲載されています。
網代温泉から弁天山登山道入口に向かいました。
網代(自治)会館前の分岐に最後の道標があり、右に折れると「女中念仏供養塔」が建っています。
その先の貴志島神社の赤い鳥居に到着。鳥居の場所が網代弁天山登山道入り口になります。
弁天山には向かわず、またの機会にしました。
補足ですが、網代橋は、2019年台風19号による損傷で、通行止でした。