※2023年3月31日をもって閉館です。
そしがや温泉21は、「ウルトラマン商店街」を脇道に入ったところにある「ウルトラマン商店街加盟店」です。
1985(昭和60)年築のマンション型銭湯として営業開始。
2019年8月16日から、閉館午前0:00から午前1:00閉館に変更されています。
道路から入り口まで植木鉢多し。鉢に金魚が泳いでいます。
玄関軒下のおしゃれな照明ですが、遠くから見るとミラーボールに見えました。
券売機が3台もあります、銭湯ではあり得ない、驚きました。
利用カードにスタンプ10個で1回無料、銭湯ではあまりみかけない。
受付は2〜3人います、銭湯ではあり得ない。
食事処なし、宴会場なし、カラオケなし。
<休憩スペース>
休憩スペースが多いです。
入口手前にベンチのあるスペース。
受付先に休憩スペース。
血圧計が置いてありますが、打ち出し紙切れで、目で確認。
脱衣所入って手前に休憩スペース。
浴室手前左手にテラスの休憩スペース。
<源泉名>
源泉名「祖師谷温泉」
テラス休憩所に昭和52年分析書、銭湯入口右柱に平成16年分析書、受付先の休憩所に平成28年分析書。
ホームページには、平成16年の分析書が掲載されています。
・昭和52年9月12日分析書
成分総計811.6mg 炭酸水素イオン511.1mg 有機物44.11mg
・平成16年分析書
成分総計1.143g 炭酸水素イオン696.8mg 有機物20.0mg
・平成28年8月1日分析書
成分総計1.044g 炭酸水素イオン650.4mg 有機物19.0mg
「加温、循環ろ過、塩素と銀イオンを併用」
<脱衣所>
ドライヤー20円。
<浴室>
ボディーソープ、リンスインシャンプー、石鹸が備えられています。
<黒湯>
黒湯の3連浴槽です。手前が普通の黒湯、真ん中に電気風呂、奥がバイブラとなっています。
手のひらに黒湯をすくうと、黒さは手のひらが見えるほどの透明度です。
<煙突>
高い煙突です。裏手に薪が積まれていました。
外から見ると、銭湯の全体像は、瓦屋根の昔ながらの銭湯です。
コインランドリーは道路反対側にあります。
入口には「コミュニティセントウ 丸正浴場」とあります。
下足箱は木札の松竹錠です。
<庭>
小さな庭があります。池は空池です。
<浴室>
玄関と脱衣場はリニューアルされていますが、浴室は、昔ながらの銭湯で、
天井がとても高く、壁は海の中を描いたモザイクタイル絵です。
湯舟、カランともに地下10mから汲み上げている浅井戸の軟水を薪で沸かしています。
ケロリン桶です。
各列にリンスインシャンプーとボディソープが置かれています。
<水風呂/天然軟水>
喜多見「ポンポコ新聞」(第16号 2004.01.12発行)によると
「5年ほど前(記事5年前は1999年)、これまでの井戸が使えなくなり
新たな井戸を深く掘ったら(95m)茶褐色の水が出てきた。
温泉には成分が足りなかった。湯舟に入れるほどの量ではないので水風呂だけに使ってる。」(概略)
温泉法に定める温泉ではありませんが、腐植質を含む黒湯です。
ケロリン手桶にすくってみると、色づきはさほどではありません。
源泉投入チョロチョロ、オーバーフローチョロチョロ。塩素錠剤数個が蛇口に吊るされています。
循環ろ過はないと思います。
水温計は25℃を示しています。
水風呂よりボディーシャワーの井水のほうが冷たいので、サウナ利用者はシャワーを利用しています。
占有率は低いのですが、1人しか入れないため、占有しないよう出たり入ったりを繰り返しました。
水風呂に黒湯をかけ流す銭湯には何箇所か入湯しましたが、ここは源泉投入量が少ないものの、悪くはないかな。
丸正浴場の斜め前の三角地に念仏車と、
覆屋には元禄5(1692)年の庚申塔(青面金剛)と、享保4(1719)年の地蔵尊が祀られています。
<念仏車>
(説明板)
「念仏車
旧岩戸村(現東京都狛江市岩戸)との境に近い、「いかだ通」と「中通」の交差した地点にある。
念仏車とは念仏を唱えながら廻すものであり、一回廻す毎にお経を一巻読んだと同じ功徳があるとされ、念仏の功徳をより効率良く広めるものとして造立されたと考えられる。当地の念仏車には石造四角柱の上部に六角形の車輪が取り付けられており、各面に六字名号の各字が刻まれている。
銘文によるとこの念仏車は文政四年(一八二一)十一月、喜多見郷の「女念仏講中」によって建てられた。念仏講は女性のみによって構成される場合がままあり、このような念仏講による地蔵等の造立例が区内でも幾つか認められる。しかし区内で近世以前に造立された念仏車の遺例は他に見られないので、この念仏車は近世世田谷の女性による信仰の遺跡としてはかなり貴重な例といえる。
またこの念仏車の傍らの小祠には、元禄五年(一六九二)の庚申塔、並びに享保四年(一七一九)の地蔵が安置されており、近世の喜多見村における民間信仰の面影を今に留めている。
平成元年九月 世田谷区教育委員会」