Discover 栃木 温泉文化遺産(温泉文化史)
 
<足尾山>

 足尾山 大岩寺   茨城県石岡市小屋
 足尾神社 一の鳥居 茨城県石岡市上曽
 足尾神社 里宮   茨城県石岡市小屋
 足尾神社 本宮   茨城県石岡市小屋
 足尾神社 奥宮   茨城県石岡市小屋

<栃木県内その他 足尾山信仰>

 足の神様であり、足の諸病、健脚、旅の安全を願う神様。
 人力車組合と関わりが深かった印象を受けます。

 足尾山       那須町寄居大久保
 足尾大神      那須町芦野
 足尾神社      那須塩原市宮町
 足尾大神      那須塩原市関谷
 足尾社       大田原市南金丸
 足尾大神      大田原市薄葉
 足尾山       日光市西川
 足尾神社      那珂川町馬頭
 足尾権現      那珂川町谷田 
 足尾大権現堂    宇都宮市田下町
 足尾山神社     千葉県我孫子市中峠
 足尾山大神     埼玉県加須市土手(千方神社)

<その他>

 足尾山神社     真岡市東郷
 人力車発明紀念碑  台東区谷中長明寺


足尾山(芦穂山)  茨城県石岡市小屋

 足尾山は、筑波山塊の一峰で、筑波山と加波山の中間にある標高627.3mの山です。
 古くは「常陸風土記」や「万葉集」に葦穂山と記されています。

 平安時代に醍醐天皇が夢枕で常陸国足尾山神社の存在を知り、
 この山の神社に祈願し足の病が治ったことから、
 「日本最初足尾神社」の勅額を下賜したため、「足尾山」に改称したといわています。
 足尾神社は、足の病に霊験があるとされ、人力車組合の信仰(水戸駅構内人力車組合の碑あり)、
 足に関わる仕事の草鞋、靴、義足などが奉納されています。

 以下「足尾神社」のホームページから引用

「当社は、明治初年の神仏分離以前は山麓の大岩寺という寺院が維持管理していましたが、大岩寺がしばしば火災に遭い、記録類一切を失いましたので、神社の創建年代は明らかではありません。
 社伝によれば、第60代の主上、醍醐天皇が御足痛に苦しみなさった時、夢に足尾の神が現れたので、遠く足尾の山を遥拝なさったところ、たちまち快癒なさったとのことです。御足痛の全快を喜ばれた醍醐天皇は、紙に御足形を印し、「日本最初足尾神社」の勅額を下賜されましたが、その勅額が野火により焼失したので、寛正5年(1464・室町時代)6月、御所へ再下賜を頗い出たところ、
再び勅額と菊桐入り喇石の下賜があったと伝えられています。当時の御立会・井関大蔵卿外4名の令旨書を足尾山別当が代々伝えてきましたが、神仏分離の混乱期に散逸してしまいました。
 以上のように社伝に醍醐天皇の御名があらわれ、また式内社の「夷針神社」は当社を指すとする説が有力で、全国式内社一覧にも記載されていることからしても、当社が全国的に見ても由緒ある古社であることが明らかです。」

 葦穂村は、1955年(昭和30年)八郷町(2005年石岡市が発足し廃町)となり廃村。
 小学校や郵便局に、芦穂の名が残っています。
 旧芦穂村には、「足尾山 大岩寺」「足尾神社」(本宮、里宮)「足尾神社一の鳥居」があります。


足尾山 観音院 大岩寺  石岡市小屋439

 「足尾山 大岩寺」は、足尾神社の別当でした。

 大岩寺山門脇に道標石碑があり、「從是足尾山迄三十六丁」と刻まれています。
 約4kmですね。
 三十六丁目の奥宮手前に、「東道 三十六丁供養塔」があります。
 途中「三十五丁」の道標があります。
 昔は、いくつかの登山道があったのですね。

 山門には「足尾山」の寺額が掲げられています。

   

    


足尾神社一の鳥居  石岡市上曽

 足尾神社里宮の西、県道7号線沿いにある「一の鳥居」。
 足尾山に登る入り口のひとつですが、その先は民家で現在は途切れています。

     


足尾神社里宮  石岡市小屋387

 足尾神社の里宮が、大岩寺の西にあります。
 足尾神社の神紋は「羽団扇」で、奉納幕にも描かれています。

    

    


足尾神社 本宮/奥宮へ

 県道7号線の上宮峠から脇道に入り、山道を登っていくと、
 尾根の左右に、ハングライダー用プラットホームが2つ。
 霞ヶ浦方面と八郷方面への滑走路があります。
 ここを過ぎてすぐ右手に足尾神社への入口があります。

 ここから本宮へ、表示は0.1kmですが、車が通れる道が整備されたので、
 距離は100mよりも、もっともっとあります。
 
     

     

<参道入口案内板>

(案内板)
「足尾山
 筑波山と加波山の中間にある標高628mの山で、古くは「常陸風土記」や「万葉集」に葦穂山と記されています。
 山頂は、コナラなどの落葉樹林が繁り、その中に足尾山神社が建立されています。社伝によると、延喜20年(920)ころ醍醐天皇が足病消除祈願のため与えた勅額は野火により焼失しましたが、
寛正5年(1464)御所へお願いし再び勅額と菊の紋入り喇石が与えられ、足の病を治す神様として信仰が高まり、信者が草履やわらじを奉納する風習が生まれたと言われています。
  環境庁・茨城県」

  


○足尾神社 本宮  石岡市小屋字足尾山1

 鳥居をくぐると、左手が社務所、改築の碑があり、
 右手に草鞋奉納所、手水舎があります。
 正面に、新築された真新しい社殿があります。
 社殿の左手に奥宮への参道があります。

     

     

<草鞋奉納所>

 履き物が奉納されています。

   

<手水鉢>

 勅額と菊の紋入り喇石が与えられたとの伝えがあるためでしょう、
 手水鉢には菊の紋が刻まれています。

  

<天狗のレリーフ>
 
 社殿の両脇には、天狗のレリーフが刻まれています。

    
 
<足尾神社改築>

 足尾神社改築工事の碑があります。平成27年11月建立。
 社殿が新築され、奥宮も改修されています。
 裏面には「足尾神社御由緒」が記されています。

     


○足尾神社 奥宮  石岡市小屋1

 拝殿左横に、山頂/奥宮への急階段の参道があります。
 参道の階段を登っていくと山頂の奥宮です。

    

<なにかの碑>

 最初左手に文字の読めない碑があります。

   

<記念碑 水戸驛構内人力車組合新登講>(昭和4年4月15日)

 参道を少し進むと、左手に「記念碑 水戸驛構内人力車組合新登講」と刻まれた碑があります。
 昭和4年4月15日。
 足の神様なので、黒磯の足尾神社もそうでしたが、
 人力車の車夫から信仰を集めていたことがうかがえます。

     

<三十五丁>道標

 足尾山別当だった大岩寺から三十五丁の距離に位置する道標。
 次は三十六丁の道標。頂上まであと少し。

  

<東道 三十六丁供養塔>(明和6年 当山別当大岩寺法印)

 大岩寺から三十六丁の距離に位置する供養塔。
 奥宮の手前にあります。
 東道とあるので、他にもいくつか登山道があったのでしょう。

  

<奥宮>

 山頂に、台状の石組みの中央に奥宮が鎮座しています。
 祠の土台には「葦穂山」と刻まれています。

 奥宮の真後ろには、加波山山頂が見えます。
 西には筑波山が見え、その右手奥には富士山が見えます。
 山頂からの見晴らしは最高です。
 
     

     

   


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