Discover 栃木 温泉文化遺産(温泉文化史)
 
 平家揚羽蝶/平家獅子舞


○平家 揚羽蝶

 妙雲寺では、いたるところで「揚羽蝶」が見られます。

      

    


○平家 揚羽蝶

 あたらしくなった消防団の車庫のシャッターに「揚羽蝶」。

   


平家獅子舞

 塩原平家獅子舞は、栃木県の文化財に指定されており、栃木県の説明によると、

 「平貞能は一行は、平重盛公の遺骨を奉持し、その妻得子や姥らとともに妙雲寺に居を移し、
  重盛公の守本尊であった釈迦牟尼仏像を安置して一門の冥福を祈り、
  かつて栄光をもたらした獅子舞をその霊前に奉納しました。
  この獅子舞が現在まで伝えられたと言われています。」
 
 上塩原古代獅子舞は、那須塩原市の文化財に指定されており、那須塩原市の説明によると、
 「平清盛が紀州熊野神社に参拝の折、一族の繁栄と天下泰平を祈願して奉納された舞が、
  平家の落人によって伝承されたという説と、、」

 上塩原古代獅子舞の本来の目的「一族の繁栄」だと、源頼朝に知れたら反心と受け止められ一大事、
 庇護する宇都宮さんもアウトですね。
 平家獅子舞の目的「一門の冥福を祈り」だと、源頼朝も反心ではないと考えてくれるのかなと想像します。

 獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代の初期のころです。
 一方、塩原の獅子舞は、平清盛の熊野詣のおり、一族の繁栄と天下泰平を祈願して奉納された舞との説があり、
 平安時代の獅子舞としたら、やたら古いです。

 また、平家一門の繁栄・天下泰平、後の平家一門の冥福が目的で、
 五穀豊穣が目的ではないことが他の獅子舞と違って珍しい。
 塩原温泉には耕作地が少なく、収穫祭のお祭りは存在しない地域です。
 (塩原温泉祭りは、大正天皇御即位が起源で収穫祭ではない)
 
 平重盛の霊前に奉納した平家獅子舞が、ここ塩原で現代まで伝えられているのは奇跡です、驚かされます。
 平重盛の遺骨は、平貞能によって、茨城の小松寺に埋葬されています。


平家納豆

 現在販売されているのは、赤平家、緑平家、白平家のパッケージ。タレにも揚羽蝶が描かれています。
 一時期販売された黒平家と平家清盛納豆。
 小池久男元社長は、加仁湯の社長だった人の息子だよと元社長の知人から聞きました(未確認情報)。 
 加仁湯でも、こいしや食品の商品扱っていたのに納得。

     


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