Discover 江戸旧蹟を歩く
 

 岩槻

  ○ 岩槻城址
  ○ 久伊豆神社
  ○ 太田道灌公之像
  ○ 芳林寺
  ○ 岩槻郷土資料館



岩槻城址 さいたま市岩槻区太田3-4他

 岩槻城は太田道灌の築城との江戸時代からの従来説に対し、現在は成田氏築城説が有力なようです。
 太田道灌の曾孫の岩槻城主だった太田資正は、令和4年2月に生誕500年を迎えるとのことで、
 イベントが行われるようです。

    

   
 

<岩槻城裏門>

    
 

<人形塚>

 昭和46(1971)年に当時の岩槻人形連合協会が建立。ここで人形供養祭が行われます。

    
 

<岩槻城址記>

 大正14年10月、岩槻町建立。

   
 

<東武特急「きぬ号」>

 こちらで記載



久伊豆神社 さいたま市岩槻区宮町2-6-55
 
<参道>

 本殿南に参道。参道入口に「久伊豆神社」の大きな社号標。
 参道は鬱蒼とした木々に覆われています。

    

    
 

<石碑>

 石碑が色々とあります。「猿田彦大神」。力石もありました。

    
 

<神苑>

 参道左手に神苑(枯山水)。
 平成三十年四月十九日に植樹された、朝香宮殿下孔雀奉納八十年祭記念植樹「しだれ桜」があります。

    
 

<明戸庚申>

 狛犬に石燈籠が載っています。
 徳川将軍霊廟の奉献石燈籠によく似ていて元の銘が削られているので転用かと思いましたが、
 裏面には奉納年が刻まれているので、どうでしょうかね。

     

     
 

<孔雀小屋と鶏>

 1938(昭和13)年3月9日、朝香宮殿下が岩槻にご来臨の折、孔雀三羽を奉納されたのが始まりです。
 小屋から出てきた鶏が、境内を闊歩しています。

    

   
 

<日露戦役紀念碑>

 孔雀小屋の横に、「日露戦役紀念碑」があります。
 陸軍大将寺内正毅の揮毫です。大正5年5月14日建立。

  
 

<拝殿/本殿>

 拝殿は、平成26年10月19日竣工。

    
 

<伏見稲荷神社>

   
 

<厄割り石>

  
 

<榛名神社>

 本殿裏に榛名神社。榛名神社の前にあった大榊は、平成30年に枯れたとのことです。

  
 

<北野天満宮>

 「撫で牛」「叶い戌(子育て戌)」
 コロナのご時世、牛は撫でないでお祈りしましょうとの掲示を見ることがありますが、
 ここは掲示がないですね。よく撫でられる部分の色が変わっています。

    

    



太田道灌公之像 さいたま市岩槻区本町6-1-1 さいたま市岩槻人形博物館

 2020(令和2)年2月22日、さいたま市岩槻人形博物館と交流会館がオープンしました(岩槻区役所跡)。
 笠をかぶり弓矢と太刀を持っている太田道灌増ですが、
 他の像と違って右手に扇子を持っているので、文人の道灌と言われています。
 1985(昭和60)年、岩槻ライオンズクラブ寄贈、制作者は作島栄治氏です。

    

    



芳林寺 さいたま市岩槻区本町1-7-10

 文明18年(1486)  太田道灌が暗殺された時、道灌の父道真と養子の太田資家(岩槻城主)が伊勢原に行き、
 道灌の遺骨や遺髪をもらい受け、越生町の龍穏寺と芳林寺(当時松山の地蔵寺?)に分けられて葬られました。
 永正17年(1520)八月火災に罹ったため太田資正が松山から道灌の遺骨を当地に移し、
 資正の子氏資が母の芳林尼の追慕のため、永禄10年(1567)寺名を芳林寺としたと伝えられています。
 (言い伝えが色々ありよくわかりません。)

 境内には「やまぶきの寺」石碑があります。やまぶきの寺とも呼ばれているようです。

     

     

   
 

(説明板)
「 岩槻城・太田道灌・芳林寺
 岩槻城は、室町時代に古河公方足利成氏の執事扇谷(上杉家)持朝の命を受け、長禄元年(一四五七)太田道真・道灌父子が築城したと伝えられる。
 文明十八年’一四八六)、太田道灌が神奈川県伊勢原にあった主君・上杉定正の館で暗殺された時、父の道真と道灌の養子・太田資家(岩槻城主)が伊勢原に行き、道灌の遺骨や遺髪をもらい受けてきたと言われている。
 そして、それらは埼玉県越生町の龍穏寺と芳林寺に分けられて丁重に葬られ、今日まで供養されている。
 また、芳林寺は太田三楽斎資正が、東松山城(埼玉県東松山市)の城代難波正直の娘婿として活躍していた頃に、同地ゆかりの地蔵堂を岩槻に移したと伝えられ、資正の嫡男・太田氏資(岩槻城主)の時代に名前を地蔵堂から「芳林寺」と改めて、母・芳林妙春尼の御霊をはじめ、多くの合戦で亡くなった将兵や町内外の檀家の方々のご先祖の御霊を供養して、現在まで続いている由緒ある禅寺である。」

  
 

<太田道灌公築城550年記念 岩槻城復元図>(平成19年7月26日)

  
 

<武州岩槻城 阿部氏在城五十九年>

  
 

<道灌松>

 「道灌松」の石碑と、松があります。由来は何でしょう?

   
 

<太田道灌騎馬像>

 2007年に騎馬像が建てられました。
 葛飾区柴又在住の彫刻家である冨田憲二氏と山本明良氏の両名(彫刻工房十方舎)によって作られました。
 「江戸城の石」石標があります。江戸城の石も用いて、細部にもこだわりの騎馬像です。

 (説明板)
 「この太田道灌公の騎馬武者像は、東京都葛飾区柴又在住の世界的にも著名な彫刻家である
  冨田憲二・山本明良両先生(彫刻工房、十方舎)の作品です。」

    

    

   
 

<太田道灌公鷹狩之像>

 富田憲二・山本明良の作、2014年建立。

     
 

<太田氏資公像>

 富田憲二・山本明良の策、2003年建立。
 太田氏資像は、母である芳林妙春禅尼像に向いています。

   
 

<芳林妙春禅尼像>

 富田憲二・山本明良の作、2004年建立。
 太田氏資の母で 当山の開祖です。

   
 

<道標>

 「京 三条大橋百四十二里」「白鶴城本丸半里」「江戸日本橋九里」

   
 

<地蔵堂・位牌堂>

  
 

<弁天堂/弁財天尊像>

  
 

<白山堂>

 白山堂の標石には「金毘羅大権現、白山大権現、三峯大権現」とあるので、
 この三社を祀っているようです。

  
 

<寶聚稲荷社>

  
 

<埼玉県庁が最初に設置された芳林寺>

  
 

<芳林寺境内墓地>

   
 

<田中保画伯の略歴>

 墓地手前にあります。

   
 

<芳林妙春尼御霊廟 太田道灌公御霊廟 太田氏資公御霊廟>

   

    
 

 「太田氏資供養塔」

    



岩槻郷土資料館 さいたま市岩槻区本町2-2-34

 岩槻郷土資料館の建物は、昭和5年(1930)に建てられた岩槻警察署旧庁舎です。
 国の登録有形文化財です。
 資料館は、入館無料です。

    

    


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