〇 福渡温泉神社
〇 塩釜温泉神社
〇 塩の湯温泉神社
〇 茗荷温泉神社
〇 畑下温泉神社
〇 門前温泉神社
〇 古町温泉神社
〇 小滝温泉神社
〇 新湯温泉神社
「塩原の温泉神社としては元湯温泉・塩の湯温泉に次ぐ3番目の神社で、繁栄と旅人の安全を守り、
病を除く所として崇められた。
明治21年(1888)村人の寄進により現在地に遷宮され、再建された。」(那須塩原市HP)
文学碑が多くあります。神社境内には福守地蔵尊、血子神社があります。
増祝により愛宕神社、伏見稲荷神社、三峰神社があります。
「草枯れて 風韻空に 澄むばかり」
本名は磯俊夫、塩原福渡の山形屋旅館の主人。
大正から昭和にかけて栃木俳壇の重鎮として活躍し、塩原をテーマにした作品を多数残しています。
「鴬の声も 錆びたり 青葉山」
「七不思議 ある温泉所の 紅葉かな」
俳人、8世五老井 本名は坪田松雄、大正4年に塩原を訪れた時に建てたもの。
<桃林舎 枕石>
「甘味をば 淡きにかえて武蔵野の 月より嬉し 塩原の秋」
別途記載
<塩の湯温泉神社>
「創建は寛仁2年(1018)とされており、当時の塩の湯温泉は現在の甘湯の大地獄付近に湯治場があり、
神社を祀ったものといわれている。元文3年(1738)に現在の境内に移り、茗荷神社も共に遷宮された。
その後、文化5年(1808)に君島五郎右衛門永喜が願主となって再建され、
塩の湯温泉の繁栄と旅人の安全を守り、病を除く所として崇められた。」(那須塩原市HP)
<茗荷温泉神社>
「慶長3年(1598)に君島五郎右衛門永喜胤が、かつて塩原を支配していた君島信濃守の領地であった
茗荷の里に移住して来た。
延宝2年(1673)、元茗荷より現在地に茗荷神社を遷座したとの記録板が残っているが、
その後文化5年(1808)君島五郎右衛門永喜願主となって再建され、
塩の湯温泉の繁栄と旅人の安全を守り、病を除く所として崇められた。」(那須塩原市HP)
「創建は貞享4年(1687)とされ、宿場の繁栄と旅人の安全を守り、病を除く所として建立された。
文化13年(1816)、畑下戸村の惣代の寄進により再建された。」(那須塩原市HP)
本殿は、日光東照宮の宮大工たちが塩原に滞在して作った云われがあります。
門前温泉神社の鳥居の横に「湯殿山」碑があります。
文化14年(1817)の紀名となっています。
県内、湯殿山碑はよくみかけますが、自分が見た中では一番大きな碑です。
一番新しい温泉神社、と言っても古い。
境内には、古町不動、大日如来石碑、読めない供養塔、文学碑。
こたき館の以前の旦那が、よく草苅をしていましたが、最近は草が生え放題。
細工が見事です。
「創建は大同元年(806)とされ、現在の元湯温泉に祀ってあった。
万治2年(1659)、元湯温泉は大地震の山津波により壊滅状態になり、復興を重ねたが
天和3年(1683)再び日光大地震にあい廃村となってしまった。
神社再興を願う人々により、正徳3年(1713)頃までに元湯にあった神社及び石段・石幢・その他を、
新湯噴火口の南寄りの高台にある権現山に人力で運んで遷座し、
同時に「元湯湯治場」の面影を残す9件の宿屋も移築された。」(那須塩原市HP)