福渡温泉 子宝の湯(岩の湯)
福渡温泉 子宝明神
福渡温泉 子持ち岩
福渡温泉 子持ちの湯
塩原元湯 子宝の湯(大出館女性野天風呂)
板室温泉 関前鍾乳石の道祖神(幸乃湯温泉)
板室温泉 木の俣地蔵
北温泉 鬼子母神
鬼怒川温泉 子宝の湯(鬼怒川仁王尊プラザ)
鬼怒川温泉 子宝の湯(あさや 自家源泉)
鬼怒川温泉 子宝岩(楯岩) 楯岩トンネル 楯岩鬼怒姫神社
川治温泉 子持ちの湯(寿庵 界川治 一柳閣 白井屋)
川治温泉 子宝神社・子安神社
川治温泉 おなで石
川治温泉 双体道祖神
川治温泉 岩姫神社(子安様)
湯西川温泉 子授地蔵(薬師の湯)
湯西川温泉 子宝の湯(金井旅館家族風呂)
湯西川温泉 子宝の湯(揚羽の女性内湯)
湯西川温泉 夫婦石(慈光寺門前)
湯西川温泉 手湯(清盛玄関脇)
湯西川温泉 金精神(元湯 湯西川本館内湯・露天風呂)
日光湯元 大山津見神社
日光滝尾 産の宮(開山堂)
日光滝尾 子種石(滝尾神社)
馬頭 御前岩
馬頭 温泉観音(南平台温泉観音湯)
女夫渕温泉 金精神(女夫淵温泉洞窟風呂)廃業
「岩の湯」は、別名「子宝の湯」とも言います。
岩の湯の奥に子宝明神があります。
御神体は、画像をご覧くださいませ。
足場が悪いので、近寄らないほうが安全です。
写真集「福渡の道」(平成16年)に掲載されている写真を撮影。
子持岩(別名薬研岩)で、記念撮影をする人が多かったとの説明がありました。
満寿家の旗をもって、記念撮影しています。
<子持ちの湯>(過去)
子持ち岩に、源泉と笠懸の跡は残っていますが、現存していません。
「裸の湯」(通称「子持ちの湯」)の由来
「湯の中に一巨石あり、俗に之を子抱石といふ。・・此石を抱て浴すれば子を孕むと傳ふ。」
<子持ちの湯>(現在)
昔の場所ではありませんが、地元専用の共同浴場にその名前が残ります。
一般の方は入浴できません。
女性 野天風呂「子宝の湯」。女性専用で入替はないので、パンフレットの配置図のみです。
玄関には、いろいろなものがあり、プチB級ワールド。
玄関左手には、「関前鍾乳石の道祖神」。さすると子宝に恵まれるそうです。
「夫婦(子宝)の龍」
右手には「護神馬」の一刀彫
玄関の上には「天狗」
湯瀧の本数が栃木県内では、一番多い。
子宝祈願の地蔵尊として、戦前は多くの参詣人を集め、遠く会津地方にまで及んでいました。
会津中街道、三斗小屋先手前に那珂川渓谷へ分岐する道があります。
寛政5(1793)年の道標から進んできます。こちらの道も賑わっていたことがうかがえます。
<木の俣地蔵>
那須塩原市HP説明
「木の俣地蔵
板室街道から深山ダムに向かう道路左側、
林道を170メートル程入った場所に樹齢500年といわれる桂の木があり、
その根元に木の俣地蔵が安置されている。
平安中期の武将安倍貞任が、守り本尊である地蔵尊を
桂の木に置いて戦に出たため、源頼義との一戦に敗れたという伝説が残る。」
<木の俣地蔵のかつら>
那須塩原市HP説明
「木の俣地蔵が安置される桂の木は、
「木の俣地蔵のかつら」として「とちぎ名木百選」にも選ばれた。
根元が枯れて空洞となっているが、
平成9年(1997)より樹勢回復施術が行なわれている。」
幹からあふれるように生え伸びる小枝が目をひきます。
2本の木の根本が合体した巨木がありますが、
このかつらは、樹勢回復により根本からの無数の小枝が
将来、千手観音の手が合体したような巨木の根本となるのでしょうか。
<木の俣地蔵堂>
那須塩原市HP説明
「木の俣地蔵より30メートルほど進むと地蔵堂があり
現在7体の地蔵尊(石仏)が安置されている。
現在の地蔵堂は昭和58年(1983)に再建された。
かつては子育て地蔵として多くの参詣人を集め、
堂前の石燈籠は享保4年(1709)奉納とあることから、
当時より厚く崇敬を集めていたことがうかがえる。」
<地蔵堂造営記念碑>
地蔵堂脇に、木野俣地蔵堂造営記念碑があります。
<緑愛 穴沢森林組合>
植林百町歩達成記念、栃木県知事賞を受け等と裏面に記載。
<熊之碑>
害獣駆除と密猟で狩られた熊の霊を祀るためと裏面に記載。
天狗の湯の前の階段を奥まで行くと鬼子母神の祠があります。
鬼子母神にお参りして天狗の湯につかると子宝に恵まれるとのこと。
「子宝の湯」「金運の湯」といった別称もあり。
鬼怒川にあっては、B級ですがピカ一の温泉です。
<仁王尊山門>
仁王尊山門が設けられました。「ご自由にご参拝下さい」とあります。
山門から仁王像へ自由に行くことができるようになりました。
入浴しなければ無料です。
あさやでは、自家源泉「子宝の湯」を使用しています。
森友瀧尾神社からの分霊。
縁結びや子宝等にご利益があるといいます。
滝尾の香車堂は子宝返礼奉納の香車が多数で圧巻ですが、
ここでも香車が奉納されていました。
<子持ちの湯>
通称「子持ちの湯」(源泉名「共同源泉」)
「寿庵」「界川治」「一柳閣」「白井屋」で使用しています。
子持ちの湯
寿庵
界川治(伝七時)
一柳閣
白井屋
戦後すぐに起きた鬼怒川の氾濫のあと、上流の川岸で発見された女陰形の自然石を、
松井土産物店の店主が店の前のこの場所に移して祀ったもの。
子宝を授かるために石をなでたところからおなで石と呼ばれます。
薬師の湯の傍に、子孫繁栄を祈る意味があると言われる双体の道祖神があります。
湯西川の湯は子宝の湯といわれ、宿に子宝の湯と名付けられたお風呂が多いです。
薬師の湯に、子授地蔵があります。とても古いもので、子だからに恵まれたいと思う人は、
一度なでてやると授かると言われているそうです(金井旅館のサイトに説明あり)。
「子宝の湯」(家族風呂)があります。
男内湯「御所の湯」 男露天「石庭の湯」
女内湯「子宝の湯」(←以前は子持ちの湯だった)女露天「石単の湯」
露天風呂多数、露天風呂巡り、氷点下、寒かった。。。
2019年6月1日、旧平家の庄から名称変更です。
運営会社は、「株式会社 湯西川温泉観光ホテル亀屋」で変わらず。
慈光寺の門前に夫婦石があります。
湯乃宿 清盛の玄関脇に、手湯があります。
浮き彫りが見事です。
水受けは猿の浮き彫りが施されています。
入浴施設はこちら
内湯と露天にあるのは、金精神みたいです。
日光湯元温泉神社にあります。
大山津見神社→大山祇神社、ご祀神の扉に鍵がかかり拝めなくなりました。
徳川光圀が、元禄11年(1698)、御前岩を見て「出生岩」と名付けたという記録があるとのこと。
那珂川町指定文化財です。
<日帰り温泉観音湯>
東日本大震災罹災により大浴場棟が半壊し閉鎖しました。
「至福観音様石像」は無傷で残り、現在の観音湯に移設され、
新たに「温泉観音様」と改称されました。
飲泉許可が出ているので、飲む「子宝授かり」。
久しく行っていなかったら、階段と脱衣所に「館内撮影禁止!!」の掲示。
行っていない間に、天皇皇后両陛下がご来駕されていました。
(まだ掲示を目にする前の場所だったので、受付の従業員の目の前で堂々と撮りましたが
注意は受けず、撮影禁止の画像は撮ったけど、それ以降の画像はなし。)
平成28(2016)年6月21日、天皇皇后両陛下がご来駕された際の写真が受付の正面に飾られていました。
午前中に、ばとう手づくりハム工房をご視察後、南平台温泉ホテルでご昼食をとらました。
ご滞在は高根沢の御料牧場(6月20日〜22日)でのご静養です。
平成10年には秋篠宮ご夫妻がご来館されています。
下に駐車場が整備されていました。露天風呂は目隠しがてんこ盛りとなったので、
夕日とか景観を見るなら、駐車場からが良いです。
入口に以前はいなかったひよこ?がいてちょいと驚きました。
内風呂の壁画には富士山と満開の桜に、500系の新幹線。(直接描かれておらずはりつけ)
無料の泥パック始めました(露天風呂)。
震災で半壊・閉鎖した日帰り館と至福観音様石像(改称前)
<南平台温泉ホテル>(日帰り入浴不可)
屋上露天風呂からの景観がすばらしい。
観音湯の露天風呂まで見えちゃいます。(現在は目隠しが設けられ見えません)
観音湯の露天風呂から見上げると、ホテル屋上の露天風呂も見えます。
(現在は目隠しが設けられ見えません)
露天風呂のほか、内湯あり、鮮度良し。
足湯は閉鎖されました。
「子宝の湯プラン」があります。
震災後、目隠しが設けられ、しっかり対策されて、見えないようになりました。
大黒天の湯の洞窟の中に金精神がありました。
震災で被災、廃業、更地で残念。