「日光山 輪王寺」の別院である日光山湯元・温泉寺。
日光山輪王寺HPの湯元・温泉寺に詳細に掲載されています。
江戸時代は日光奉行等の許可がなければ入浴できませんでした。
今は誰でも世界遺産「日光山輪王寺」の別院に「日帰り参篭」(要は入浴)できます。
冬季は参篭不可です。
<参道>
石燈籠の並ぶ参道を進むと、温泉寺です。
湯ノ平湿原から、遊歩道「湯元泉源歩道」から行くことも出来ます。
<庫裡>
庫裡にある「温泉寺本尊薬師如来」の説明です(今は新しくなっている)。
「志納金」は500円、領収書は「休憩奉納」です。
休憩所は趣があります。お茶受けと領収書がありました。
<湯殿「薬師湯」>
湯殿の「薬師湯」です。
脱衣所の天井にはお札が貼ってあります。お寺の雰囲気出ています(実際お寺だし)。
湯殿の天井も、趣があります。
湯口からの源泉はきれいに透き通った透明。
浴室の外のタンクから源泉投入です。
昔は宇都宮営林署湯元源泉(現:森林管理署源泉)を使用していたので、
昭和43年の分析書等がありましたが、現在は奥日光開発の7号源泉を掲示、使用。
7号源泉は湯元では唯一の動力引揚なので、エメラルドグリーンの透明の印象がありますが、
加水や参篭者が多いと、透明度を保てず白濁し、鮮度はいまいちとなります。
古い分析書 参考までに森林管理署源泉
温泉寺に行ったら、次は温泉神社ですね。
日光湯元温泉の温泉神社は、勝道上人が湯元温泉を見渡せる場所に建立さえれたので、高台にあります。
朽ち果てていく南間売店の脇、温泉大権現常夜燈(文化十一年(1814))の横を上がります。
上がりきると、安永4年(1775)の石燈籠があります。
御朱印は、二荒山神社中宮祠での対応となります。
碑に天保7年(1836)植田孟縉著『日光山志』と、明治19年(1886)『日光山道志留辺』の抜粋が刻まれています。
原典と見比べると、微妙に表記が現代的に改められていました。
「名を得たるものは○河原湯○緞子湯○姥湯○瀧湯○中湯○笹湯○御所湯
○自在湯なり。皆浴室内に分析表を掲げあれば、一覧の上入浴成さるべし。
湯守は日光市中の者にて十一軒なり。この地は気候寒ければ、旧4月8日、
始めて浴室を開き、9月8日を限り浴室を閉めるを通例とす。
故に署を避け病を養ふには無比の浴場と云ふべし。
「日光山道志留辺」 明治19年(1886年)より」
(参考)日光山道志留辺
<地蔵/稲荷神社/大山祇神社(大山津見神社)>
階段途中に、地蔵様が並んでいます。
境内社に稲荷神社と大山祇神社(大山津見神社)があります。
ご祀神が拝めなくなっていました。
日光湯元は寺の温泉。オリーブの里や塩原の妙雲寺も自家源泉を持っています。
こちらは神社の温泉です。
山の中腹に建つ聖徳太子神社の神主さんが宿の主人で、参拝客を泊めていたのが宿の始まり。
旅館で毎週定休日があるのも珍しいです。お盆の時期は休みなし。
湯小屋「蔵の湯」。
内湯は、大きな浴槽と小さな源泉風呂があります。大きな浴槽は白湯。
源泉「太子霊鉱泉」。影響を与える事項「加水、加温、塩素」。
源泉口から湯中に投入しているので、生源泉に触れられないのが残念です。
生源泉が蛇口から出せれば味見ができるのですが、できません。
熱交換器による加温で、循環はしていません。
源泉風呂は緑色がかって混濁しています。
単純酸性鉄冷鉱泉ですが、鉄臭・鉄味・酸味は感じません。
温泉はマニア向けではないと思います。
霊鉱泉之由来の掲示によると、
「太子霊鉱泉の湧出地は、栃木市柏倉字寺山一三六一番ノ一の山林中腹に湧出地がある、
昔より獅子の、水呑み場として有名であった。なぜならば、獅子を始め山の動物達が良好になるため、
十里四方動物達が、集まって霊水を呑んだと云う。
其の湧出地が大阿久家所有の山林なので
大阿久家第五十一代大阿久岩作当家の守護神たる聖徳太子の名を戴き、
太子館霊鉱泉と名付け、温泉を開業。
広く諸氏の為に奉仕致すべく今日に至って居る次第であります。」
聖徳太子神社のある山から鉱泉が湧いているのではなく、湧出は隣の山とのことです。
<開業時の写真>
<露天風呂>
露天は、露天風呂、塩サウナ、水風呂とあります。温泉ではなく白湯です。
水風呂が岩をくり抜いた湯舟で雰囲気よいです。
自家農園「太子農園」の野菜を売っていたので、ナスとじゃがいもをそれぞれ100円で購入。
ナスとジャガイモを持って、傾斜のきつい階段をのぼって聖徳太子神社へ行きました。
眺めも良いです。
2020年1月31日閉館。貼り紙などはありません。
「(株)和泉屋は、2020年3月26日、宇都宮地裁大田原支部より破産手続開始決定。」
以前は、「(有)和泉屋旅館は、2012年5月16日、東京地裁より破産手続き開始決定。」
2度めの破産、経営者変わるでしょうね、残念です。建物が古いのでしばらくは廃墟状態続くかも。
<創業480年>
創業は1536(天文5)年、480年間・15代にわたって続いてきた旅館です(2012/5破産・継続)。
(福渡では、丸屋も古く、開業は承応年間(1652年-1655年)で、明賀屋開業1674年より古い)
先代の樣太郎氏は詩人です。→こちらで紹介。
野口雨情(こちらで紹介)ら多くの文人に親しまれた宿で、文学亭は文人の香りがあふれています。
本館フロントから浴室に向かうすぐのところに貝石(貝の化石)があります。
貝石沢でとれたのかと聞くと、福渡でとれたそうです。
<地下プロムナード>
本館地下1階と文学亭1階・2階の中間が、国道400号の真下「地下プロムナード」(地下通路)で
つながっています。国に道路使用料を支払っています!
<文学亭>
泉漾太郎氏の胸像の出迎えを受けます。
階段にも飾られている文人の色紙に歴史の年輪を感じます。
大広間舞台の緞帳には寄贈者の文士のお名前がズラリ。
この緞帳の前で撮っている写真の顔ぶれがすごいこと。
1階奥には遊技室(ピンポン PING PONG)があり、ジュークボックスが2台置いてありました。
ジュークボックスは撤去され今はありませんが、卓球台が2台も置いてあるのはツボにはまります。
<混浴大ぶろ>
プロムナードを進み、右の階段をちょっと下がると正面に混浴「おおぶろ」があります。
右に行くと貸切内風呂・ピンポン、左に行くと貸切露天風呂があります。
源泉名「福渡区源泉(右岸)」影響を与える事項「源泉温度が高いので加水しています」
脱衣所
混浴の場合、脱衣所が男女別に設けられているところが多いのですが、
ここは脱衣所も1か所だけなので、女性には厳しいでしょう。
浴室コンクリの壁が上半身パステルグリーンに塗られています。
無色透明な源泉ですが、所により緑がかって見えます。
湯掻き棒がバカデカイのには驚きます。
いくら巨大湯掻き棒でも、プールを混ぜるのは無理!
洗い場にケロリン桶が積まれています。
大風呂は大きいのに、熱めです。福渡区源泉の高温に脱帽です。
湯底は傾斜がついており、箒川上流方面に沿って段々と深くなり、
湯中に湯口のあるところが一番深くなっています。
深いところは熱いので一番浅いところでゆっくりつかりました。
プールではありませんが、同行者は泳いでいました。
<まとめ>
●大ぶろ(混浴大浴場)
内風呂。文学館1階にあります。
●露天風呂「延寿の湯」
文学館1階の遊歩道沿いにあります。
2015/5から貸切風呂に変更(17:00-21:00)。30分1080円。14:00-17:00女性専用。
昔はチェックイン前の時間帯は日帰りでも利用できたけど、現在日帰り受付は14時〜。
源泉名「福渡区源泉(右岸)」
影響を与える事項は「気温の低い期間のみ加温しています」
湯口。ジョウロで湯を受け、ジョウロで受け止められた湯は、湯中に放出されます。
放出された湯がぼこぼこ湯面に盛り上がってきます。
そのまま流すと表面だけ熱くなるからこの方式だと湯口の湯の豪快さを楽しめるし、
湯船内の湯温もほぼ一定で良い。
夏はジョウロが撤去されていたので、寒い時期だけの使用かもしれません。
景色は、箒川は見えず、立ち上がれば露天風呂のすぐ脇の遊歩道が見えます。
●貸切風呂1及び2(3つありますが、2つのみ使用)
内風呂。文学館1階にあります。
源泉名「福渡区源泉(右岸)」
貸切1 貸切2 不使用
●大浴場(男女別)
内風呂。本館地下1階にあります。国道に面しています。
源泉名「福渡区源泉(右岸)」
ホテルおおるりの庭園は、昔の雰囲気をよく残しています。石燈籠、池、赤橋、滝・・・。
[大野伴睦]
庭園の旧国道に面したところに、寄付者・協力者と刻まれた芳名殿のプレートがあります。
最後に「自由民主党副総裁 大野伴睦書」と刻まれています。
大野議員が副総裁だった時期は、1957〜1960、1961〜1964。
その奥に「大野伴睦先生の像」と刻まれた胸像があります。
[源泉施設]
庭園内にモーター音が聞こえる源泉施設が2カ所あります。
ホテルにあがる階段の下と、庭園の隅にあります。
庭園の隅のこぼれ湯に手を入れると、適温ほどの泉温でした。
現役の源泉施設も、庭園に雰囲気にあわせて、古風にカモフラージュされています。
築150年を超える古民家の梁を移築しています。
内湯の湯口では、水車が回っています。
昔ながらの共同浴場の雰囲気を色濃く残しています。
<2019年3月31日閉鎖>
2019年3月31日をもって、閉鎖となりました。
「お知らせ」によると、再開は未定とあるので、全くの閉鎖ではないようです?
ドアは鍵は閉まっておらず、スーと開いたので湯なしの湯舟を撮影(2019年5月)。
<内湯>(男「将門の湯」、女「姫の湯」、家族風呂「子宝の湯」)
脱衣所は大きな岩がむき出しになっており、ここも河原だったと実感できます。
浴室の窓開けたら、目の前は湯前橋の赤いアーチ。橋渡って来る人と目が合って気まずい。
ここが河原だったと実感できます。
湯口の竹の中は、白い析出物。単純温泉ながらかすかな硫黄臭の良い湯です。
<館内の湯はすべて源泉使用>
浴室内のカランとシャワーは源泉を使用しています。
館内のお湯は、すべて源泉を使用しています。
流し台には源泉使用の蛇口が2カ所あります。どの蛇口も硫黄でやられちゃっています。
内湯の湯口には飲泉コップがありましたが、洗面台や流し台でも飲めます。
<湯泉の湯(露天風呂)>(男女別各1、混浴1)
目隠しのない混浴露天風呂と、ヨシズに囲われた男女別露天風呂(手前女湯、奥男湯)。
目隠しの下の隙間(開け閉め可能)からは川の流れも見え外観から想像したより意外に景色も良い。
冬は、男湯からは、湯前橋の先に氷柱が見え圧巻です。
目の前の清水屋旅館が茅葺き屋根から瓦屋根に変わったのが景観的に少々残念。
露天風呂のさらに下に混浴露天風呂。さえぎるものが何もない河原。雨用に笠が用意されています。
<河原 薬研の湯>
対岸の湯前橋の下にあるのが「河原薬研の湯」。こちらもオープンエアー。
「源泉かけ流し 河原 薬研の湯 金井旅館」の板と「平家美人
美肌実感」の赤い板。
金井旅館で、代々古くからあった露天風呂とのことで、岩をくり抜いた湯舟は歴史を感じます。
昔の河原の湯と薬研の湯が今に続いていると思っていました。
草木が生い茂っている時は気がつきませんでしたが、動力装置がありました。
河原薬研の湯で使用している源泉は動力でした。
「河原 薬研の湯」という名称から推察すると、昔の河原の湯と薬研の湯の名称を一緒にしたのかも。
金井旅館の自家源泉「天楽堂の湯」の湧出地は湯西川のもっと上流の沢口です。
動力装置は中継地点か、ここも湧出地なのか不明。でも、たぶん中継地点かな。
<天楽堂の湯>
自家源泉、アルカリ性単純温泉、51.6℃、成分総計0.220g
やや熱めの源泉を、湯量で温度調整を行っています。
完全かけ流し。カラン・シャワー、流し台も源泉。湯量多し。硫黄臭あり。良い湯です。
内湯・露天とも、河原にありロケーションも良し。
温泉も良いですが、露天風呂の丸太組の屋根が古材を使用しているので雰囲気良いです。
湯西川館本館で入浴すると、隣のおやど湯の季の露天風呂の古風な屋根が見えます。
露天風呂はは、太い丸太で組まれた味のある屋根がかかり、
混浴大露天風呂「壮健の湯」・「釜風呂」、女性用露天風呂「美人の湯」があります。
湯西川館本館の露天風呂と竹垣で遮られているだけで、声が聞こえてきます。
<丸太組の古材>
<露天風呂>
<内湯>
内湯は、浴室内と脱衣所の採光が天井から太陽光を受け入れ、明るくすがすがしいです。
ジェットバスがありボタン押すと15分作動です。常時動かすより節電で良いですね。
<鶴鶴の湯>
宿の裏手に貸切風呂「鶴鶴の湯」があります。
内湯と混浴露天風呂は硫黄臭をほぼ感じないのですが、貸切風呂「鶴鶴の湯」ははっきりとした硫黄臭。
湯口の他に源泉の蛇口もあるのが嬉しいです。
白い湯華が舞っており、高手観音の湯の特徴を湯華が主張しています。
貸切風呂は空いていれば自分で札を掲示方式で予約必要なし、日帰りでも入れるのがうれしいです。
3源泉使用していますが、内湯、露天、貸切風呂で、それぞれ浴感、臭い、湯花の有無が違うので、
源泉の使用やブレンドによる違いと思います。