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 与謝野鉄幹と晶子 第2章  第1章 第3章 第4章 第5章



「鴉と雨」与謝野寛 東京新詩社 大正4.8.1

 塩原の秋(1910年作) 短歌25首

 二荒山高原の山那須の山山かぜ我れを吹きて寒き日
 いざと言ひて流産の子を待つ如く荒野の御者は痩馬を附く
 西那須野ここすぎて見る野は深しわが静かなるたましひの國
 那須ゆけば雑木も草もはらはらと紅葉を投げてわが馬車に入る
 那須山に日の落ちゆけば秋風は雑木が原にかくれつつ泣く
 あはれなる馬車の角ぶえ塩原の荒き岩間をめぐりつつ吹く
 山にきて岩打つ水をめでにけり悲しむ人もいとまあるごと
 谷近く鏡な取りそ霜を吹く岩間の風に指の凍れば
 木の瘤をいとりて作れる煙草いれ畳におけば山のさびしさ
 那須野の野を過ぎて白くも山に入るかなしみの路ひとすぢの路
 年ごろのおとろへし身に湯を浴みぬ○○(らうかん:両方とも王遍に、良と干)を切る塩原の谷
 山裂けて瀧あるところ板橋す飛沫に濡れて馬を立つべく
 秋山の神に手向くともみぢ葉を卓にかこみて杯を挙ぐ
 夜ふくれば山の湯ぶねに月ありぬわが秋痩の肩をてらして
 三尺の薊のくきの立枯れて塩原の山石に霜ふる
 谷の石みな精を得て水に栖み白き裳裾を引きて歌へる
 塩原の荒き岩間の霜まじりかへで散りしく赤く散りしく
 相抱き切崖に死ぬよろびを塩の湯に来てまたおもふ人
 わが杖にうるし錦木蔦の葉も触るれば散りぬ赤く悲しく
 懸樋より立つ湯けぶりを二尺ほど隔てて谷に垂れしもみぢ葉
 風ふけば湯ぶねの人を隔てけり大岩に立つ白き湯けぶり
 下り立ちて下枝を引けばはらはらと朝川に散る鬱金の紅葉
 石を撫で紅葉をかざす楽しみはされども飽きぬ恋にあらねば
 両日にして塩原の山を出ぬ谷のかなしさ秋のかなしさ
 ここちよし高原山を背にしつつ那須の大野を帰るわが馬車

    



○福渡で入湯しています。

「夜ふくれば山の湯ぶねに月ありぬわが秋痩の肩をてらして」

 鉄幹は、夜遅くに、入湯しています。
 枕流閣にお泊まりで、枕流閣の内湯だと山の湯ぶねではないし、月に照らされないので、
 宿の対岸の、福渡「岩の湯」での入湯でしょう。
 塩原旅行は1泊だったので、初日の夜のことです。
 

○塩の湯で入湯しています。

「相抱き切崖に死ぬよろびを塩の湯に来てまたおもふ人」
 塩の湯の情景の描き方が悲しすぎます。

「懸樋より立つ湯けぶりを二尺ほど隔てて谷に垂れしもみぢ葉」
 鹿股川の川幅が2尺で、懸樋の対岸に紅葉が垂れている光景。
 晶子の句に比べて単調に感じます。

「風ふけば湯ぶねの人を隔てけり大岩に立つ白き湯けぶり」
 そんなに風は強くないはずで、ゆらりとした風で、湯煙が湯舟を覆ってくる光景。
 晶子の句のほうが、高尾太夫を想起させ、味わいがあります。
 

○総括

「石を撫で紅葉をかざす楽しみはされども飽きぬ恋にあらねば」

 晶子ほどには温泉を楽しんでいませんね。



〇昭和9年正月 雪の那須

 昭和9年正月雪の那須で、与謝野晶子は相当の重態に陥り、
 殆ど助からない様な様相を一時は呈しました。

 与謝野鉄幹は、痛心の余り血を吐く様な歌を沢山詠んでいます。

 「妻病めば我れ代らんと思ふこそ彼の女も知らぬ心なりけれ」
 「我が妻の病めるは苦し諸々に我れ呻うめかねど内に悲む」
 「世の常の言葉の外の悲しみに云はで守りぬ病める我妻」

 (出典:「晶子鑑賞」(平野萬里))


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