○ 古代産金の里
○ 歓迎/馬頭温泉郷
○ 馬頭温泉郷からの眺望
○ 浴室からの眺望
○ 馬頭の源泉
○ 煙草創栽碑
○ 相阿せんべい
○ 馬頭院/白湯山大権現
○ 白湯山碑/松林寺
○ 二荒山神社/湯殿神社
○ 御前岩
○ 小砂のさがんぼ
○ 花蓮
○ 八溝グリーンライン
旧馬頭町は、武茂川や大内川で砂金の採取が可能で、奈良時代に日本で初めて金を産出し、
東大寺大仏の建立にはメッキとして利用されました。
平安時代には産金が国直営となり、遣唐使が持参して渡航しています。
江戸時代には水戸藩が採掘した後、昭和30年代ごろまで金の採取が続けられました。
(下野新聞の記事を参考にしました)
ゆりがねの湯の掲示より:
「ゆりがねの湯」の由来
馬頭町は、日本で最初に金が産出した地であることから、「古代産金の里」と言われ、
そこから「ゆりがねの湯」と名付けました。
今から逆上ること約1,250年前の天平19年(747)に金が産出されており、
奈良東大寺の大仏建立の際に使用されました。
また、奈良、平安時代を通して国税をもって砂金が採取され、
遣唐使など外交使節団の献上品や大陸との文化交流に貢献されました。
「ゆりがね」とは、砂金の含まれた土砂を水洗いしながら、ゆり動かして取る(洗取)生産方法で、
そこから生まれた名称であります。
「三百種和歌」一巻の中に
あふ事は なすのゆりがねいつまでか
砕けて恋に沈みはつべき
と詠まれ、都人の間でも広く知らられていました。
左が全盛期の看板、右は、裏返しになっていく旅館の数々。
×城の台荘 ×ホテル山水館 ×やまと館 ×元湯かみの湯荘
看板に出ていませんが、神生館も震災後閉館しています。
那珂川苑は閉館し、現在は「なかが和苑」となっています。
<夕焼け温泉郷>
最近の馬頭温泉郷は、愛称「夕焼け温泉郷」の言葉が目につくようになりました。
2014年に夕焼け温泉活性化セミナーが開催されていました。
県内の他の温泉地は、西は那須連峰、塩原山、日光連山があり、日没が早く夕焼けしません。
県内の温泉地では、馬頭が夕焼けのベストの位置にあると思います。
那珂川に合流手前の箒川が見えます。
晴れていれば、日光、高原山、塩原、那須と、一望できます。まとめて一望できるスポットです。
雨だったので、鉄塔群の方を撮りました、圧巻です。
馬頭の宿の浴室は、那珂川に面して西を向いていて、夕やけが美しい(見たことないけど)。
夜景は、那珂川の真っ暗と、旧小川町の光のコントラストが美しい。
巨大鉄塔群も夜は赤い光が美しいでしょう。
ゆりがねの湯
元湯東家女湯
元湯東家男湯
いさみ館
ささや荘
なかが和苑(旧那珂川苑時) 南平台温泉ホテル展望風呂
コメント
※馬頭の主力源泉「馬頭温泉管理組合源泉」について
ゆりがねの湯となかが和苑(旧那珂川苑)は、加水、加温、循環ろ過、塩素。
加水していないのは、ささや荘、元湯東家(男湯内湯)、いさみ館(加水する時は掲示)。
お湯の状態は、加水なく湯舟が小さい、ささや荘が良い。
※元湯東家の湯づかいが複雑(違っているかも、でも女湯は馬頭温泉管理組合源泉を使用していない)
男湯 内湯 馬頭温泉管理組合源泉使用(加温、循環ろ過、塩素)
露天風呂 那珂川温泉開発源泉使用(加温、循環ろ過、塩素)
女湯 内湯 那珂川温泉開発源泉使用(加温、循環ろ過)
露天風呂 那珂川温泉開発源泉使用(加温のみの源泉かけ流し)
※自家源泉では、
美玉の湯日帰館が、かけ流し(加水、加温する時がある)。
南平台温泉は、加温、循環ろ過、塩素だが、源泉は常時投入。震災後、湯づかい良くなった印象あり。
那珂川温泉開発源泉は、元湯東家の女湯露天風呂(加温のみかけ流し)、那珂川温泉旅館(閉館)が良い。
小口館下の湯は、加温、循環ろ過、塩素だが、カランのお湯・水とも源泉で、ぬるすべ。
ホテル馬頭金山の湯が宿泊者のみの利用だが、かけ流しの極上。
<馬頭温泉管理組合源泉>(旧称:広瀬温泉利用組合源泉)
湧出地:那珂川町小口字上広瀬1668-2 46.8℃
馬頭温泉管理組合源泉は、馬頭温泉郷の主力源泉で、
ささや荘、いさみ館、元湯東家(男湯)、ゆりがねの湯、なかが和苑(旧那珂川苑)で使用しています。
湧出地は、分析書の住所から、ゆりがねの湯手前の駐車場辺りです。
温泉槽や煙突のある加温設備等があります。
<那珂川温泉開発源泉>
湧出地:旧小川町大字小川字下河原地先 泉温:26.2℃(気温32.0℃) 湧出量:13.4L(掘削自噴)
(那珂川温泉旅館の分析書は昭和62年と古いので、元湯東家の女湯の分析書を記載)。
万延元年(1860)、那珂川河原で雪の積もらない場所があり、百姓が願い出て利用を始めたのが最初です。
馬頭温泉は、湯元東家が、河原の源泉から湯を引いて旅館を開いたのが始まりです。
那珂川温泉旅館(閉館)と対岸の元湯東家(婦人浴室)で使用しています。
東家男湯は馬頭温泉郷の主力源泉「馬頭温泉管理組合源泉」をメインに使用しています。
那珂川の中洲が湧出地です。
湧出量少なく泉温が低いので、大きな湯舟だと加温と湯量確保が大変でしょう。
湯舟が小さい那珂川温泉旅館と小さな女風呂の元湯東家で使用されています。
(元湯東家で入浴した時、婦人の団体が大きな男風呂を利用していたので、女風呂を案内されました。
男湯は馬頭温泉管理組合源泉の掲示ですが、女湯は那珂川温泉開発源泉の分析書の掲示でした。)
<南平台温泉>
湧出地:那珂川町大字小口字上の山1712 44.1℃
南平台温泉ホテル及び日帰り温泉施設観音湯で使用しています。こちらで記述。
南平台温泉ホテルの足湯でも使用されていましたが、足湯は廃止されています。
湧出地は、観音湯の敷地内です。
タンクは自家源泉と、震災前に使っていた馬頭温泉管理組合源泉かな。
小山やすらぎの湯へローリー湯されてもいます。道端にあるのはローリー用かな?
<虎河豚の湯>(旧称:極楽湯)
湧出地:旧小川町大字三輪字鍋ケ日向1079 53.7℃
湧出地は、那須小川ゴルフクラブのコースで、5番ホールです。
震災前は、南平台温泉「はなれの湯」で、
「南平台温泉」「馬頭温泉管理組合源泉」「虎河豚の湯(旧源泉名:極楽湯)」と
異なる3源泉が利用されていました。
虎河豚の湯は、はなれの湯の一番奥の露天風呂で使用されていました。
「世界初のトラフグ養殖成功の源泉 虎河豚の湯」との大きな看板も震災前は出ていました。
、「極楽湯」を「虎河豚の湯」と源泉名変更しています(2009年)。
震災後は、露天風呂2つと内風呂は、敷地内で湧出する「南平台温泉」使用に変更されています。
現在は、人間は利用できず、トラフグだけが利用できる源泉となりました。
分析書もお目にかかることはできなくなりました。
温泉トラフグは下野新聞によく出てきます。
ゴルフ会員権のサイトにわかりやすい記事があります。ココ
<虎河豚の湯>利用場所
城跡の真下にある廃校となった武茂小学校が、温泉とらふぐの養殖場となっています。
フグしか温泉には入れません、フグが羨ましい。
湧出地:小砂字長峰3102-31→小砂字長峰3102-36(掘り直して微妙に湧出地変わった、源泉名同じ)
小砂温泉ホテル美玉の湯及び日帰館で使用。
「美肌の湯」「健康の湯」とパンフレットに記載されています。
アル単の源泉使用宿は、どこでも美人の湯の表現を使う傾向があります。
肌がすべすべ、お顔がつやつやになる「美肌の湯」から「美人の湯」は飛躍しすぎと思います。
美肌の湯の表現は穏当と思います。
日帰館は、L字型の小さな内湯と冷鉱泉の打たせ湯があります。
内湯で温まり冷鉱泉の打たせ湯で冷やす、これを交互に繰り返すのがここでの入浴法です。
冷鉱泉は地下600mから汲み上げているので、地下水のように、やたらに冷たくはありません。
ラドン含有量は、実は川治温泉のほうが上回っていますが、
ここでは、ラドンを逃がさないため閉め切られています。
湯気が充満し、目の前は霧雨状態、ミストサウナの様相です。
夏は息苦しさを覚えますが、冬はよく温まります。
美玉の湯の玄関横に、冷鉱泉の給水栓があります。
蛇口をひねっても出ないので「汲みたいけど出ない」と言ったら「どうぞ」。
勝手に汲まないようフロントで元栓を管理しています。
ペットボトル数本に冷鉱泉を入れて汲み終わったと一言かけたら、
「それだけでいいの?」(皆さんポリタンクで汲みますから〜)
フロントからはよく見えるようです。
湧出地:旧馬頭町大字小口字長峯1735-29 泉温32.1℃
源泉名の由来は、分析書申請者が宝来建設なので、それに由っているかと。
城の台荘で使用。震災後閉館・解体。ローリーで、日帰り温泉施設にて使用。
城の台荘の立地は、標高180mの山、大金氏が広瀬城を築いたところで、自然の要害です。
宿名も、それを意識してのことかと思いますし、建物も城っぽい雰囲気がありました。
二十三夜塔等
城の台荘に向かう坂道に二十三夜塔、庚申供養塔、お地蔵様の3基があります。
在りし日の城の台荘
解体され建物無くなった 震災後足湯は稼働していましたがそれも廃止。
ローリーのためのパイプだけ現役で稼働しています。
スーパー銭湯コール宇都宮の湯へのローリー湯は続いています(3日ごとにローリー車)。
宝来の湯の実力は発揮されていませんが、ここでしか入れなくなりました。
<小口の湯>
小口館下の湯で使用。
こちらに記載→【カラン・洗面所が源泉】
<八溝温泉>
湧出地:那珂川町久那瀬字渋内1632 泉温29.6℃
八溝温泉で使用。
馬頭温泉郷から離れた場所にあります。
運送会社の社長が運営する温泉で、個人邸宅の趣の自然豊かな環境にあります。
八溝観音が出迎えます。
1989(平成元)年10月ボーリング、翌年4月1234mで42℃のお湯を掘り当てたとのこと。
震災後暫くして露天風呂は廃止、内湯のみの利用となります。
以下、復活を願って。
露天風呂からは、眼下に那珂川の支流である武茂川が木々の間から見えるような見えないような。
女湯からの景観は視界が開け川面が見えて良い。
影響を与える事項は、貯湯槽を有するため加温、循環ろ過ですがのんびりできます。
<馬頭うぐいす温泉>
湧出地:那珂川町盛泉字仲丸2048番2
馬頭温泉 金山の湯で使用。
知覚的試験:ほとんど無色透明で無味、微硫化水素臭を有する。
泉 温:41.5℃ 湧出量220L(動力) pH8.4 成分総計:1.787g
泉 質:ナトリウム・カルシウム・硫酸塩温泉
<霊泉の湯>
上の自噴、下の自噴
湧出地:旧馬頭町大字和見319
「霊泉の湯 御殿司 神生館」2011年閉館。
<小川温泉>
まほろばの湯 湯親館で使用。
<那珂川温泉開発源泉>
那珂川温泉旅館(2019/10閉館)で使用。
<森林の湯>
小川温泉森林の湯で使用、2005枯渇・閉館。
元湯東家の看板は、地元在住の画家・彫刻家の岡倉石朋さんの作品です。
鷲子山上神社の山で立ち枯れた樅の大木に、新しい生命として立てたもの。
鷲子山上神社は、栃木と茨城の県境、山の頂上にあり、鳥居の中央が県境。
「この木は鷲子山神社のある山に育ち ある日立ち枯れした樅の大木です
ここに新しい生命として立っていただきました
2008年1月吉日
画・彫 岡倉石朋」
在来種葉たばこの1つ、だるま葉は、
那珂川町の「別雷(わけいかづち)神社(=煙草神社)ご祭神
別雷皇太神 岩倉利雄命」が
発祥と伝えられています。
別雷神社は、もともと「藤慶山 香林寺」というお寺で、
住職の相阿和尚(岩倉利雄)が、元和2(1616)年に上州で手にいれた葉たばこの種子を
寺の境内で栽培したことから、別雷神社がだるま葉の起源とされ、
煙草神社として葉たばこ耕作者から信仰を集めました。
60年前には2250戸余りもあった町内の葉タバコ農家は今では 3戸まで減っているようです。
別雷神社境内には、「煙草創栽碑」や、町の煙草産業に寄与した大森鐵之助の胸像などがあります。
境内社は、「正一位高瀬稲荷大明神」「川崎神社」「弁天神社」「足尾神社」がありました。
以下参考にしました
・全国一の生産量を誇った栃木県のだるま葉(JT)サイト消失
・別雷神社(JT)サイト消失
・那珂良しラジオ“たばこ”の名産地♪
那珂川温泉 皆幸乃湯(那須塩原市鍋掛)の空地に、大きな煙草大明神の碑があります。
那須野ヶ原の扇状地は、葉タバコの生産が盛んだった地でした。
他には、茂木にたばこ神社(茂木町小井戸14)があります。
<相阿せんべい> 森川屋菓子店 那珂川町馬頭333-2 0287-92-2117 8:00-18:00
馬頭には「相阿せんべい」という名のせんべいがあります。
相阿和尚の偉業をたたえたものです。
だるま葉と、だるまがキセルを吸っている図案が描かれています。
馬頭観世音煎餅は、「相阿せんべい」「観世音せんべい」「鮎せんべい」の3種類が
セットになっています。
(パッケージの写真を撮っただけで、開けたらあっという間に
職場の人に食べられて写真とる余裕ありませんでした、残念だなぁ。)
森川屋ではスイートポテトのほうが有名なようです。
<北向田の蓮>
ばとう道の駅の近く、那珂川警察署前の花蓮です。1〜2段目。
<神生館(閉館)前の蓮>
神生館前の花蓮です。3段目。
国道4号線方面から馬頭に行くには、
国道293号よりも八溝グリーンライン利用のほうが距離も短く快適です。
国道4号下り線だと右折、上り線だと左折→高架橋下る
→突き当たり信号右折→那珂川町(八溝グリーンライン)方向指示の看板500m手前
那珂川町21kmの看板を左折→小白井トンネル→三箇トンネル
→橋渡って→突き当たり信号右折→那珂川町方向指示の看板左折
→突き当たりが学校信号左折→二股信号馬頭方向指示看板に沿って右方向
→那珂川渡る→突き当たり→左折すると馬頭方面
栃木の温泉地で、馬頭温泉郷が震災の被害が特に大きかった印象を受けます。
当時、道の駅に置いてある旅館の案内は、いさみ館、南平台、那珂川苑だけでした。
【城の台荘】
休業の張り紙。屋根の修理工事中。
足湯は利用できるので、自家源泉は無事だったようです。
その後、解体されました。
【山水館】
屋根損壊して修理工事中。瓦が不足する中、よくこれだけ瓦を調達できたもんだと感心しました。
でも、再開することなく廃業しました。
【ささや荘】
休業の張り紙から、復活しました。
。
【美玉の湯】
修理で足場が組まれていました。この状態で営業していました。
【観音湯】
日帰館は、一気に廃墟になってしまいました。
別棟のはなれの湯で、4/28から規模縮小して営業開始しました。