Discover 栃木 温泉文化遺産(温泉文化史)
 
 湯西川温泉

  【歴史】
   ○ 明治の頃の湯西川
   ○ 国有林及国有地下戻請求事件

  【平家落人】
   ○ 湯西川の平家落人伝説考
   ○ 平家鏡岩
   ○ 平家塚
   ○ 平家夫婦石/慈光寺
   ○ 平清盛・重盛公の木
   ○ 平家落人民俗資料館

  【神社仏閣】
   ○ 西川神社群 /高房神社 春日神社
   ○ 釜八幡神社
   ○ 湯殿山神社
   ○ 高房神社・上社
   ○ 高房神社・下社
   ○ 子授地蔵(薬師の湯)
   ○ 薬師堂
   ○ 三十三世音観音堂(高手観音)

  【湯西川ダム/水没】
   ○ 西川集会所湯西川下地区集会所
   ○ 「湯西川の未来を拓く」碑
   ○ 水没林
   ○ 一ツ石ポケットパーク
   ○ 龍神霊水(水没・移転)
   ○ ネズコ大木(川戸)
   ○ 高房トンネル
   ○ 湯西川ダム付替県道旧道川戸地区県道249号(湯西川〜土呂部〜黒部)
   ○ 湯西川一枚岩
 
  【温泉】
   ○ 湯の郷水の郷
   ○ 湯西川共同浴場 薬師の湯
   ○ 源泉「高手観音の湯」使用宿
     :元湯 湯西川館本館 おやど湯の季 高野旅館 やま久 本家伴久 
   ○ 自家源泉
   ○ 湯西川下地区温泉配湯所

  【物産店】
   ○ 物産店


明治の頃の湯西川

 明治の鉱泉誌からまとめます。
 (日本鉱泉誌 内務省衛生局編 報行社,1886
  下野鉱泉誌 佐藤房之助編  出版:内山港三郎,明24.9)

 湯西川には「懐古楼」(現在の伴久)「清水屋」「湯本屋」(伴久が買い取り)の3戸の温泉宿があり
 源泉は「薬研の湯」「河原の湯」「御所の湯」「新湯」「藤鞍の湯」(いずれも川岸から湧出)。

 山口久吉の話(湯西川温泉マニアックス)によると、
 「御所の湯」は後に言われた名称で、元は薬師堂の前にあったので「薬師の湯」でした。
 当時の薬師堂と御所の湯は流れてしまって現存しないとのことです。
 目にご利益があるという薬師堂は、現在、上流の橋のたもとにあります。

 源氏の「御所の湯」が平家落人の湯西川にあったのです。
 源頼朝は那須や塩原湯元で入浴し「御所の湯」を残しましたが、湯西川で入浴した可能性はないので、
 古河公方(日光湯元に「御所の湯」)か、喜連川候(塩原古町に「御所の湯」)が入浴されて
 「御所の湯」にしてしまったということでしょうか。

 本家伴久には、かづら橋を渡った「平家隠れ館」に「御所の間」があります。
 隣の平家の庄には浴場名「御所の湯」があります。
 本家伴久も平家の庄も、創業は江戸時代ですから、「御所さま」が来たとすれば、
 喜連川公しか該当しません。「懐古楼」(現在の伴久)を宿として、薬師の湯に入湯して、
 「御所の湯」に名前が変わり、戦後「薬師の湯」に名前を戻したと理解しましょうか?
 湯西川に御所の湯があるのは驚きです、不思議です。由来が気になるところです。
 山口氏に御所の湯の由来を聞いてみたけど、判明しないので、永遠の宿題です。
 安易に命名した可能性もありますが。

 上西川(湯西川)は平安時代より源氏の領土、支配権で、
 数ある戦に、日光山領から、僧兵を、対平家に出兵した記録が残る土地です。
 天正十八年(1590年)秀吉の小田原城攻めの際には、
 日光山衆徒は北条氏に加担し秀吉の怒りをかい、
 湯西川村は焼き討ちとなり一村ことごとく焼亡しています。(以上、出典は山口久吉氏)
 一方で秀吉は、塩原で温泉につかっています。
 湯西川に「御所の湯」があっても、不思議ではないんですけれどもね。


国有林及国有地下戻請求事件

 湯西川村は山林を村有として利用してきましたが、明治6年からの地租改正で、
 国に編入されてしまい、明治9年から村山は官有地となってしまいました。
 木工品等に必要な材木は営林署から払下げを受けなければ入手できなくなりました。

 明治32年、山口丈七郎栗山村長(明治22年に湯西川村、西川村等9村が合併し栗山村が発足)は、
 山林の下戻申請をしましたが、認められず、明治38年に行政裁判所に提訴しました。
 事件は、戦後高等裁判所の管轄となり、47年の審理を経て、昭和27年に原告勝訴の判決が下りました。

 事件の決め手は実地検証での切り株の年輪でした。
 安政6年(1859)の植木取極議定証文によると、村山の内五ケ所を定め、
 杉、檜、椹、の内一種類を選び一年に十本づつを植林することと定めたもので、
 はしたて平の植林地は、沢口村の取決地でした。

 昭和25年(1950)11月11日実地検証が行われ、
 原告、村側が植林したと主張した椹の木を伐採し、その年輪を数えた所、
 93本あり(安政6年に二年生の幼木を植林すると、この時で93年となる)双方これを認めました。
 (稲益みつこ氏の記述では、年輪は96本ですが、山口久吉氏の93本を支持します。)

 【参考】以下から簡単に概略をまとめました。詳細は以下参照。
  「湯西川温泉の事件簿@ 国有林野下戻し訴訟事件」(山口久吉)
  「湯西川温泉 瀬戸権現の滝と橋立村」(山口久吉)
  「ひと筆 証拠の切り株を訪ねて」(稲益みつこ 自由と正義 2016年12月号)
  「湯西川山林の碑」碑文(詳細に碑に刻まれています)
  「西川山林の碑」碑文(詳細に碑に刻まれています)

湯西川山林の碑> 日光市湯西川709

 昭和28年11月に建てられています。
 日光市栗山行政センター湯西川支所/湯西川公民館の駐車場にあります。

     

西川山林の碑>

 昭和30年5月に建てられています。
 西川神社群にあります(県道付け替えで、打越沢から移転)。
 西川村の山林も明治8年に国に編入され、栗山村勝訴を記念した碑です。
 
     

     

勝訴証拠の記念林の碑>橋立平

 県道249号を湯西川温泉から向かうと、民宿やま久から3.5km。三河沢ダム分岐から1.4km。
 右手に切り株を模したコンクリの目立つ碑があります。

     

宮崎直二弁護士>

 県道249号「天狗岩大橋」を渡ったところに、林道のトンネルがあり、
 その手前に「記念碑」(平成26年10月吉日)があります。
 弁護士「宮崎直二」 さんのお子さん達が、父親の功績を記念して建てたものです。
 50年近くに及んだ裁判「国有林及国有地下戻請求事件」を戦後に担当した弁護士さんでした。
 
 宮崎弁護士が、椹の木の年輪の上に腰掛けている写真。
 裁判は、年輪が決めてだったので、いい写真だなと思います。

     

   


薬師堂 日光市湯西川1222 沢口橋

 山口久吉氏によると、花火打上げ筒が軒下に吊り下げられているとのこと。
 見あたらないと思ったら、正面ではなく、側面にありました。
 こんな山奥で、昔は花火を作っていたんですね。
  
 薬師堂のところに、かつて「薬師湯」(後に御所湯)があったので、
 痕跡を捜してみましたがありませんでした。
 かつての薬師堂と御所湯は流されて現存しません(もっと下流だったとどこかにあったような)
 現在の薬師堂は昭和46年改築記念の板が奉納されています。

     

   

     


○三十三世音観音堂(高手観音) 日光市湯西川2601

 「各地の信徒から奉納された観音を一堂内に祭祀してあり、三十三体観音霊場巡りが、
  この地で崇拝出来るようになっている。」(日光市HP)
 氏子の代表者は山口久吉氏です。
 
     


湯西川一枚岩

 湯西川温泉の川沿いの湯船は、一枚岩をくり抜いたものが目立ちます。
 薬師の湯や薬研の湯、金井旅館の露天風呂など。
 湯西川の川底も一枚岩で延々と続いています。
 冬だと雪が目立って、よく見えないのですが、雪がないと川底の一枚岩が際だって圧巻です。

     

    

     

     

   

 権現橋 湯西川温泉街の入り口にあるのが権現橋
    
 

○栗山森林公園 日光市湯西川1138

 日光市管理の公園です。公園の横は、高房神社境内につながっています。
 木々の奥に「天楽堂つり橋」があります。

天楽堂つり橋>

(説明板)
「天楽堂つり橋の概要
 このつり橋は、「平家の里」や湯西川地域の名所旧跡を巡るルート作りを目的に、平成6・7年度中山間集落機能等促進事業により架設したものです。
 橋の名称は、神に参拝・お山に登拝する際に大きな淵で行水し、行(お籠り)を行った行屋(天楽堂)があったところから附したものです。
 つり橋の特徴は、自転車に乗ったまま通行する場合にも、普通のつり橋のように揺れることがなく安定しており、又、維持管理・景観面を考え耐候性の鋼材を使用し、塗装を施さず自然と調和していることです。
 尚、安全面は局部的にuあたり50Kgの人が6人乗っても耐えられ、橋全体は859人が乗っても、風速55m/sの風が吹いても耐えられる構造になっています。通行の際は、走ったり身を乗り出したりしないで安全に利用し、新たな湯西川の景観を十分楽しんで下さい。
 規格及び構造
  橋形式 単径間重橋床式つり橋 橋長 85.9m 主索:47.5mm4本
  幅員 2.5m 吊索:22.4mm 塔柱高:11.231m
  床版厚:20Cm(コンクリート)」

    

    



<高手観音の湯>

 湯西川館本館に、源泉「高手観音の湯」の温泉掘削写真や経緯が掲示してあります。
 源泉「高手観音の湯」を使用するのは、湯西川館本館、おやど湯の季、高野旅館、やま久。
 古い高手観音の湯の分析書は小藤やかた(廃業・更地)が代表申請者になっていましたが
 現在は高手温泉開発組合が申請者。写真見ると湯西川館本館が音頭をとって開発したようです。

       湯西川舘本館掲示                          小藤やかた跡地
     
 

○元湯 湯西川館本館 高手観音の湯

 3階の露天風呂の衝立の向こうは、おやど湯の季の露天風呂(こちらも良いです)。
 空いていれば家族風呂も使えて3種のかけ流し源泉を堪能できます。
 以前の打たせ湯(昔の画像)は、檜風呂としての利用となっています。
 内風呂と露天風呂に高手観音の湯、露天の檜風呂に湯西川館源泉を使用。
 家族風呂(ひのき、十和田)は集中管理源泉使用です。

    

    

   
 

おやど湯の季 高手観音の湯 画像等

 貸切風呂「鶴鶴の湯」は硫黄臭、高手観音の湯を使用しています。
 

高野旅館 高手観音の湯

 内湯、露天とも、カランは源泉「高手観音の湯」を使用しています。湯花が嬉しい。

     

     

 加水等温度調整は、客任せの掛け流し。
    

 湯口には飲泉用の枡
  
 

民宿やま久

 源泉名「高手観音の湯」(高手温泉開発組合)

 内湯が一つだけの小さな民宿です。
 熱かったのは表面だけで、湯かき棒で、ぐるぐるしたら、長湯できそうな温度になりました。
 湯口から高温の源泉投入。加水用のステンレスパイプもありますが投入なしで掛け流し。
 湯口の湯は硫黄臭。浴感ぬるすべ。

 浴室から出ると、大旦那がおられたので、少々お話をお伺いしました。
 古文書はもう読んでいないとのことで、
 理由は、読むべきものはすべて読んでしまって、もう読むものがないと笑っておられました。

 若旦那とも少々話し込みました。
 川戸地区の釜八幡の縄文時代の遺跡まで話しが及び、この辺でも縄文時代の化石が出るとのことで、
 これがそうですよと玄関の脇に土器の破片が展示されていました。
 湯西川マニアックスは、まだネタがあるとのことで楽しみにしています。
  宿HP  http://www.80kyu.com/
  湯西川マニアックス 

     



自家源泉

 <はたご松屋> 松屋源泉+集中管理
 <元湯 高房ホテル> 集中管理+高房ホテル源泉?
 <森の湯 ハミングバード> 山口 森 源泉
 <平家本陣> 平家本陣の湯 ※2021年8月31日閉館
 <湯乃宿 清盛> 白貂(しろてん)乃湯源泉 
 <金井旅館> 天楽堂の湯 
 <平家の庄> 亀屋源泉・集中管理混合泉 
 <ホテル湯西川> 伴久源泉、伴久スプリングバレー源泉
 <彩り湯かしき花と華> 華胥の湯
 <本家伴久> 伴久源泉
 <清水屋旅館> 清水屋源泉→集中管理
 <平の高房> 平の高房
 <やまふじ(富士屋旅館)> 富士屋源泉(現状?)


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